おもしろいことばかりじゃなぁ~・・この世のことは
Twitterでもつぶやいたけど、塾に行っているとおもしろいことばかりである。
>塾から帰ろうとしたら、女子高生から「センセはなにを短冊に書いたの?」と聞かれた。その娘は、七夕の願いごとを書く短冊を持っていた。私は、「人生にゼツボウしているから、あ~んにも書くことはないんじゃ」と言ったら、大笑いされた。塾の経営者も大笑いしていた。あまりにおもしろいから、エアカナダから貰ったボールペンをプレゼントしてしまった。航空会社のロゴマーク付きだ。私には不要なので。毎日が楽しいですよん。塾も。
>男子高校生には、あまりボクらを放っておかないでねって言われた。どうやら海外旅行にばかり行っている不良講師と思われているらしい。この男子とは、もう四年間おつきあいしている。ああああああ、オレのようなもんでも、必要としてくれる人間がいるのだよと感動してしまった。さらに、中学二年の男子生徒は、最近私の担当になっていなかった。そしたら、センセ・・・オレの担当が嫌でオレを外したのか?だってよ~ん。そんなこたぁねぇ~って言ってあげたが、しかしおもしろいもんですな。まったく、まったく。偶然外れただけなのにねぇ。かわゆいもんじゃよ。(*^ー゜)
>生徒たちとのふれあいがである。これがあるから、楽しみなのである。かっこうよく言えば、魂のふれあい。否、そんな高尚なことではなく、楽しいからやっているって言った方が当たっている。
こんな書き込みを見ていると、そもそも根っから教師稼業が好きなんだろうなぁと思う。亡母もそうだったし、亡母の弟もそうだった。教師だった。しかもこの二人、同じ地元の国立山形大学教育学部を出ていて、先輩・後輩にあたる。さらに、私はこの国立大学に入ることを宿命づけられていた。だから反発した。嫌だったのである。入学した高校は、地元の山形大学に私の時で、現役で70名は進学していったから、私も当然この大学には合格圏内にいた。しかし、一度疑問に思ったことは生涯祟る。わははっははっはである。
つまり受験しなかったのだ。地元の大学には行きたくなかった。行ったら、こういう人生を送ることもナカッタであろうと思う。今、思えば。冒険だったが悔いはない。
集団就職列車で上野駅まで来て、そのまま日本経済新聞社に行って、新聞配達の奨学生の手続きをして店に配属された。それから受験して最初の大学に進学して行ったのである。まるっきり家出のようなもんだった。大学進学のカネも出してくれなかったし。全部テメェで用意したからである。こましゃくれたガキであった。なにもここまでして、両親に反発する必要もなかったからだ。うまく両親を利用する手もあったからだ。しかし、私は十代後半にそういう生き方を選択してしまったのである。もう取り戻せない。スタートしてしまったからである。
夢のような思い出である。
それがこんなになるまで、あちこちの大学で生涯学習をやることになろうとは思ってもみなかった。
しかも、これからもやるかもしれない。鈞ちゃん二号を目指しているからである。最後は仏教をやりたい。西本願寺がやっている中央仏教学院でも学んだが、やるべきことやらねばならないことはたくさんある。
まだ悟っていないしなぁ。美人が美人に見えるからだ。困ったモンジャ。それにアルコールはもうすっかり縁を切ったけど、夢の中には出てくるからだ。まだまだ世捨て人のように清廉潔白というわけにはいかないようだよん。悟っていないからだ。
所詮、田舎爺である。
今回のカナダ・アメリカ漫遊の旅では、そういう過去のことも思い出していた。
もう寿命の関係で二度と来ることもないだろうからである。
過去は過去。過ぎ去ったことは、戻ってこない。コロラド川の、あるいはモニュメントバレーの西部劇の舞台に立ってもそんなことを考えていた。あの西部開拓時代の白人たちはなにを思って、こんな広大だけれどなにも無い未開の地に来たのであろうかということである。水も無ければ、電気も無い。未だに無い土地に堂々と住んでいるのである。こういう感覚があるから、アメリカ人は強いのである。そう思った。
日本の田舎暮らしとはワケが違う。スケールも違う。
さらに、アメリカの若い人たちは、都会に憧れないという。現地ガイドの老人から聞いた。こっちも老人だけれども。
さもありなんである。
都会に憧れないということは、それだけ「タフ」であるということである。まがい物の都市化という真っ赤な嘘にだまされていないということだ。「タフ」であるということは、真っ赤な嘘にごまかされていないという精神のあり方を示しているってぇことだ。
身体が頑強だから「タフ」なのではない。確かに、アメリカ人はでかい。でかくてパワーもある。柔道で言えば、重量級である。こういうのと戦うというのは、容易ではない。
太平洋戦争なんて、無謀だったのだ。そもそもが。食料補給の問題も考えていないで、戦争なんかしかけてはならない。戦術的にそこで勝負はついていた。
そもそも戦争なんてワシは反対である。やっちゃイカン。アジアの某国のように、戦争だけで建国してきた歴史を持っている国もあるが、真っ赤な嘘でもって未だに存在しているではないか。
歴史なんて、勝った側からの一方的な真っ赤な嘘話でしかないではないか。作りモンだし。古典のいくつかも。負けた方の怨念とか、恨み・つらみは存在しないことになっているからである。日本の神社もそういう負けた側の怨念・恨み・つらみを慰撫するために作られているからだ。日本の古典にも種々書いてあるではないか。
しかも、アメリカはガソリンも自前で補給できる。今でもできる。中東で石油を生産させてオノレの国では埋蔵量が豊富だから、絶対に死なない・滅亡しない国になっている。
さらに、原爆とか、水爆とかを世界に禁じていて、もっと凄いことを考えているという噂も聞く。
生きる力が違う。プランニングが違う。そう思うのだ。
あの広大で、荒涼とした大地で戦ってきた国なのである。ミリタリー国家のようなものだ。それにFBIとかがある。犯罪防止とか、そういうマイナス要因の防止でも、組織的なことでも超一流である。そういうアメリカの組織から一度目をつけられたらお仕舞いである。一巻の終わり。
ふううううううううむ。
オイラも一巻の終わりにならんように健康だけには気をつけて生きていきまひょ。
(^-^)/