団塊世代の人生時計

 団塊世代として生きてきた「過去」、「現在」、そして「未来」を、自分自身の人生時計と共に綴り、「自分史」にしてみたい。

ロシアはウクライナから出て行け! Ⅲ

2022-02-28 17:57:46 | 戦争

ロシアはウクライナから出て行け! Ⅲ

2022年02月28日(月)

 

 私は、世界の草根の市民(私は「世界市民」と言っています。)ひとり一人の力は極めて僅かですが、集まればこの地球上で最大の力になることを、プーチン、いやプーチンに続くことを企んでいる習近平にも見せつける必要があると思います。

 

 直ちに必要なのは、ウクライナ市民に対しての支援です。隣国へ避難しています。食料、身の回り品が必要になります。お金が要るのです。

 

 私は、私の小遣い1か月相当額1万5千円を、最大の連帯の気持ちを込めてカンパするつもりです。ただ、確かな団体でなければなりません。日本ウクライナ協会のHPを見ても、それらしきモノはないんですね。

 

 1万5千円って、僅かですが、「私」が日本の人口の1割約130万人いると、195億円になるんですね。このたび、日本政府が115億円の支援を決めましたが、それの2倍程度は直ぐに集まると思うんですよね。草の根の市民の方が日本国政府より、強大ではありませんか!

 

 集まるという根拠ですが、実は、コロナ禍で、私は小遣いが余って仕方ないのであります。そんな「私」が日本中には、ワンサカいると思うんですよね。(ハハハッ)

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ロシアはウクライナから出て行け! Ⅱ

2022-02-27 12:11:05 | 戦争

ロシアはウクライナから出て行け! Ⅱ

2022年02月27日(日)

 

 プーチンの顔つきがオカシイです。私の少ない語彙で言えば、鬼とでも言うのでしょうか・・。しゃべる時、顔全体が引きつっているように見えます。

 私は、心理学者に登場してもらいたいと思いますです。プーチンの心の内を暴いて欲しいのであります。

 

 ロシア国内において絶対的権力を握り、反対する者もいない! 独裁者は孤独だと言われていますが、孤独の心情には猜疑心というものもあります。

 プーチンが今一番恐れているのは、思わぬ身内からの反乱かも知れません。

 

 23日の赤旗です。

 この経緯を見ると、相当長期間にわたり周到な準備でウクライナ侵略を考えていたことが分ります。

 

 全世界を敵に回して、プーチンが得るものと言えば、ロシアという国の信用失墜と、いずれ歴史の法廷に立たされて、断罪されるということでしょう。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ロシアはウクライナから出て行け

2022-02-26 14:56:17 | 戦争

ロシアはウクライナから出て行け

2022年02月26日(土)

 

 今日から、当分の間、私のブログの表題は「ロシアはウクライナから出て行け」にします。

 

 かって歴史の教科書では、ヒットラーなるならず者がいましたが、プーチンはそれに勝るとも劣らない存在です。

 既に、多くの人命が失われています。このならず者は、人命なんて眼中にもないということです。

 このならず者の野望は、強大な旧ソ連邦のような国家体制を築き、独裁者として君臨することにあります。

 

 かつて、10.21国際反戦デーというのがありましたが、一体どうなっているんでしょうねぇ。

 もう30年以上前だったと思うのですが、出張で東京へ行った時、ちょうど10.21で、参加したことがあります。東京の人数ってハンパじゃないです。

 

 反戦集会を開いて欲しいでありますなぁ!ウクライナの市民に連帯の気持ちを伝えたいであります。かつての、ベトナム人民への連帯と同じように。

 

 昨日、3回目のワクチン接種を行いました。昨日は熱はありませんでしたが、今朝6:50 37.1℃と微熱でありました。13:10現在 36.8℃と平熱に近くなっています。

 昨日は、医師の指導により、飲酒は控えたのでありますが、本日は、ワクチン接種の成功を祝って、一杯やるのであります。副反応は、接種部位に痛みがあります。ただ、触らなければ気になるほどではありません。

 wifeですが、超大袈裟であります。ちょっと触れると、大袈裟に反応するのであります。これこそ、副反応ではなく、過大反応であります。(ハハハッ)

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

プーチンのお友達はどうした!?

2022-02-24 17:33:58 | 戦争

プーチンのお友達はどうした!?

2022年02月24日(木)

 

 何かあると、とかく口出しする、例えば、佐渡金山の世界遺産登録であるとか、敵基地攻撃であるとか・・。この期に及んでダンマリを決め込んでいるのは、誰~だ!?

 山口の温泉に招き入れ、お友達として親交を深めたんじゃなかったのか!?

 

 プーチンと習近平で、ならず者集団をつくり、世界秩序への挑戦がより過激になりました。次は、台湾とばかりに、習金平は、今、ロシアに恩を売っておくでしょう。

 

 経済制裁なんて、中国がバックに付いているので、へっちゃらよ!ってことですか。

 

 

 結局、「万国の世界市民 団結せよ」。世界市民が立ち上がるしか方法はなさそうです。

 

 ベトナム戦争の際は、世界中でベトナム人民への連帯のメッセージとして、デモが繰り広げられました。今こそ、日本でもベトナム戦争再来のように、世界に声を上げる必要があると思います。

 

 政府、政党、それぞれ声を上げていて、それは必要ですが、繰り返しますが、世界市民が、世界中で声を上げるのが最も重要です。私は一番にデモに駆け付けます。

 

 ・・で、プーチンとお友達関係を築いた、お方ですが、歴史の審判が下ったと言って良いでしょう。こんなプーチンのような輩とお友達だった訳ですから、プーチンを見抜けなかったという訳であります。

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

義兄が黒い雨の地域に疎開していたんです

2021-12-30 12:44:41 | 戦争

義兄が黒い雨の地域に疎開していたんです

2021年12月30日(木)

 

 義兄が黒い雨の地域に疎開していたんです。

 

 21月28日の赤旗です。

 

 岸田政権のデタラメさが出た、黒い雨訴訟決着での対応でした。

 

 黒い雨の地域の人には原爆手帳を交付するというのですが、条件として11疾病を付けちゃった。→これ、何の合理的理由もありません。直爆や入市被爆ではこのような条件は付いていません。「11疾病」というのは健康管理手当該当疾病です。

 赤旗の記事では、この違いを「新たな分断」と指摘しています。確かにその通りなのですがそれ以前の次元のもので、理屈になっていないのです。

 例えていうなら、コロナ患者は医療費は無料になっていますが、ある地域について、他の疾病もあることを条件として無料にするといった類いです。こんな無茶苦茶な仕組みを公務員が考える訳ありませんので、岸田政権の指示と思いますです。

 今後、岸田政権に付ける冠として、「幻想を振りまきやがて裏切る」に加えて「デタラメ」を追加いたしましょう。

 

 

 23日、疎開していた時に通学していた学校へ行きました。

 その小学校の「沿革誌」です。何と明治34年から記録がありました。凄い!

 

 1945年4月18日に集団疎開で百名が来村とあります。

 

 9月7日、赤痢患者続発とあります。義兄も赤痢にかかり相当重症だったようです。

 

 義兄が疎開中に寄宿していた寺にも行きました。「大和寮」の看板が今でもありました。貴重な資料です。

 

 義兄の家は原爆投下地点から約700㍍の所にあり、義兄の母や姉妹は直爆でした。これまで、疎開により運良く原爆の惨禍から逃れていたという意識であった訳ですが、原爆の威力は遠く離れた疎開地まで及んでいたのであります。

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

暁部隊

2021-08-24 17:54:15 | 戦争

暁部隊

2021年08月24日(火)

 

 ちょっとした偶然と縁とがあったんです。

 

 1週間くらい前のことです。東京の楽友から暁部隊のことについて情報提供がありました。暁部隊とは広島市の宇品に本拠を置いていた陸軍の部隊のことです。この楽友は私が宇品に住んでいることを知っての情報提供でした。

 

 そして、その情報提供から数日後、TV局で暁部隊に関する報道があったんです。実は、話が前後しますが、楽友からの情報提供の数日前に、戦災孤児の番組があり、暁部隊の建物を使っていたという話も聞いていました。そこは私が小学校2年3年と通った学校の場所でした。暁部隊に関する全くの偶然でありますが、タイムリーと同時に私とのちょっとした縁もあったんです。

 

 沖縄で、暁部隊の船舶砲兵の認識票がみつかり、広島に帰還しました。

 

 

 

 

 激しい戦闘が行われた前田高知で見つかりました。

 

 南区にある寺で法要が行われました。実は、私の一番の親友だったお母さんの実家なんです。「だった」というのは、20年くらい前に自死したんです。私は、このことを思い出し、この日は涙しました。

2007年10月10日のブログ記事一覧- 団塊世代の人生時計 (goo.ne.jp)

 

 

 暁部隊の凱旋館跡の記念碑です。私の家から、約800m辺りのところにあります。先日確認に行ったところ、今は第六管区海上保安本部があります。

 

 

 比治山に船舶砲兵の慰霊碑があり、慰霊が行われました。

 

 戦後76年経ちますけど、まだまだ爪痕が残っています。戦争は過去の問題にしてはいけませんです、と思います、

 

 最後に「縁」ですが、戦後直後暁部隊の下士官が私の母の実家に数週間寄宿したことがあるんです。この縁で、随分親しく付き合いがありました。私の結婚式には参列いただきましたし、私は東京の世田谷区の家に泊まりに行ったこともあります。

 面白い話を聞きましたですよ。潜水艦に艦長として乗っていた時、海底に着床して動かなくなったんですね。一大事であります。潜水艦には重量バランスをとるために水を前後に動かす仕組みがあるそうなんですが、その人は、水を交互に前後に動かしたんですね。いわば、身体を揺すったとでもいうのでしょうか・・。そしたら、浮上したと言っていました。戦争で生きて帰ることができたから笑い話で済んだ訳でありますが、第二次世界大戦で死んだ310万の人の話、多分無念、は聞くことができないんです。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする