被爆の実相
2017年8月7日(月)
被爆者は、「被爆の実相を見て欲しい。」と言います。
・実相 実際の有様。真実のすがた。(広辞苑)
8月6日前後して、原爆に関する番組が多く放送されました。私は、それらを観るにつけ、さながら地獄だったのではないかと改めて感じました。(8月5日のブログ「国民平和大行進」で、「原爆投下後にこの炎天下で逃れ惑い歩き続けた人達のことを思いました。こりゃ、月並みな表現しかできませんが、地獄ですね。」と書きました。)
http://blog.goo.ne.jp/windy-3745-0358/e/1ea75ab6c33c60641ed0f6e019a956c9
しかし、本当に「地獄」だったのかと疑問に思うようになったのです。地獄は人間が想像で作り上げた世界です。しかし、原爆はそれを超越する世界ではないかと・・。
原爆の絵を特集した番組ですが、その中の一枚に、子どもを抱いた母親が黒焦げになって死んでいた絵がありました。その母親は、子どもを抱いた不安定な姿勢で、しかも片足で立ったままだったと、その絵を書いた人が証言しているのです。片足という不安定な状態で立ったまま死ねるの?また、そういう姿が残るの?と思いました。私は、「死んではおられない」走って早く逃げなければという母親の必死の思いが、片足立ちのまま死んでいった姿になったのではないかと(そんなことってあるの?と思いながらも)想像したのです。
想像を超越する世界ではないかと書きながら、「想像」したとは、論理矛盾でありますが、そこは、beyond discriptonなのであります。
私は本物の被爆二世ですが、実相を伝えることはできません。やっぱ、その世界を体現した人でなければ無理と思います。しかし、被爆体験は誰かが伝え続けなければなりません。私の記憶が亡失してしまわない内に、書いたおきたいことがあります。
私が通っていた高校は、旧制中学校で、爆心から約1㎞の所にありました。何時、何処で、誰から聞いた話か忘れてしまったのでありますが、(そういう訳で記憶も十分でないかも知れませんが)、胸が詰まる話だったのです。
校舎が崩れ、何人かがその下敷きになり、動きがとれす脱出できないのです。やがて、火の手が迫ってきました。生徒たちはいずれ死を迎えることになることは容易に想像できます。そんな中、誰からともなく、学校の寮歌を歌い出し、全員の合唱になったと言うのです。その寮歌は私が在学の際よく歌ったものです。
広島に住んでいると、原爆の話はよく聞きます。全て残酷な話ですが、身近に感じないというか、ある程度距離を置いて聞いていたような感じがし、先の話のように、胸に詰まるというようなことは、あまり記憶にありません。
私の高校の時と同じ位の年齢の子ども達が、やがて死ぬであろうと思いながら、どういう気持ちで寮歌を合唱したのか、ここは、私もなかなか想像できないのであります。
この私の話を読んで、何とも心を動かされなかった人は、私の文章力のなさゆえであります。被爆の実相を自らで知って欲しいと願うものです。
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