団塊世代の人生時計

 団塊世代として生きてきた「過去」、「現在」、そして「未来」を、自分自身の人生時計と共に綴り、「自分史」にしてみたい。

広島交響楽団第402回定期演奏会(コロナ復活コンサート)

2020-07-26 11:41:15 | 音楽

広島交響楽団第402回定期演奏会(コロナ復活コンサート)

2020年7月26日(日)

 7月17日、広島交響楽団の「コロナ復活コンサート」へ行って参りました。

 私が前回行ったのが2月2日でありましたので、5カ月半以上振りでありました。

 https://blog.goo.ne.jp/windy-3745-0358/e/a86143d8f276bd8ca678077b0a82d4f6

 






 本日のシェフの高関健さんは、もう30年以上前に、広響の常任指揮者をしておられました。高関マエストロの指揮で、ベートーヴェンの合唱を歌ったことがあります。

 当時私の職場で、偶然エレベータで乗り合わせまして、私はマエストロを良く知っておりますので、私が親しそうな表情をしたんだと思うんですね。マエストロはキョトンとした様子でありました。(笑)

 藤田真央さんは、チャイコフスキーコンクール第2位、クララ・ハスキルコンクール優勝、浜松国際コンクールも優勝という、今正に旬のピアニストです。TVにも引っ張りだこでありますが、「僕ちゃん」という感じのお人柄であります。

 


 ベートーヴェンのハイリゲンシュタットの遺書ー管弦楽のための交響的断章

 冒頭の音があまりに衝撃的で、その部分しか印象に残っていないのであります。

①「おっ!よく響くな!」というが第一音を聞いた印象でありました。入場者を約半数に制限していましたので、吸音効果も半減したのでありますなぁ。

②音楽の方は、フォルテッシモの重々しい音に圧倒されました。決して不協和音ではなく、12音でもないのですが、メロディ感はありません。例えていうなら、津波が押し寄せるような恐怖のイメージであります。

作曲者は「苦悩を通して歓喜へ」というベートーヴェンのモットーを表現したかったのでありましょう。

 広響自身も、今「苦悩」であります。演奏者達もベートーヴェンに重ね合わせて演奏したものと思われます。

 「歓喜」は、広響を愛する市民と共に、という私の思いであります。

 

 



 

 ベートーヴェンの2番のピアノ協奏曲は、1番より先といいますので、実質的には、最初のピアノ協奏曲です。

 比較的長い序奏のあと、藤田のピアノがポロンと鳴ります。何という柔らかい音色でしょう!曲想もモーツアルト的で、この柔らかさはピッタリであります。

 ところが、第3楽章になると、ベートーヴェンの面目躍如でありました。軽快ではありますが、ダイナミックで、モーツァルトとは決定的に違います。青年ベートーヴェンの初々しさ、溌剌さを見たような気がいたしました。

 新しい発見もありましたです。5番の「皇帝」のメロディに似た部分があったのです。実質1番と最後の5番は、通底する部分があったんですね、と思いました。

 

 


 シベリウスの2番は、どうしても1970年のセル:クリーブランドの演奏を思い出します。私の「ベンチマーク」なのであります。何時聴いても熱くなります。

 本日の生の演奏は、金管の瞬発力のある咆哮が刺激的でした。終楽章、圧倒的に精神的高揚を感じるのですが、どことなくもの悲しい部分が、「わびさび」に似た雰囲気を感じさせ、私が好きな所以なのであります。

 この曲で、実は「人体実験」を行ったのであります。始まる前と後で検温いたしました。

 36℃→36.3℃と0.3℃の上昇でありました。もう少し上がるかなと思っていたのですが・・。

 この「検温」は、今後私の定番にしてみたいです。




 本日のオケの配置ですが、いつもと違っていました。コントラストバスが左、右手の前面は第二ヴァイオリンという出で立ちでありました。いつもになく、第二ヴァイオリンの音が目立ち、これも有りかなと思いました。

 




 ライブ配信をしているようでありますが、私にスキルがないのであります。というか、生以外であまり積極的に聴きたいとは思いません。







 21日の朝日新聞です。








 チケットの半券は自分でもぎ取ります。また、プログラムも自分で取ります。







 舞台がせり出していました。初めて見ましたです。




 私が座った前の席ですが、右の方は視覚障がい者で、左は中国新聞の記者です。インタヴューが行われていました。

 

 現音楽監督の下野マエストロが挨拶をされました。衝撃でありますが、私は全くその内容を記憶していないのであります。私の脳味噌の容量が、音楽で一杯になったのでありましょう、根拠のない楽観であります。(苦笑)

 

 




 最後、おじぎをするのが、広響のスタイルであります。

 その昔、日フィルが分裂し、広島で公演をしたときも、このようにおじぎをしましたです、という記憶があります。関心があることは覚えているのであります。




 藤田さんのアンコールでありますが、なんとも、凡庸に聞こえる曲でありました。というか、私がその良さを理解できなかったのでありましょう。(笑)

 

 コロナ禍にあって、生のオーケストラを聴くことができたということです。これまで、当たり前と思っていたことが、実は非常に大切なことだとが分かった演奏会でもありました。

 

 

 

 


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