学年だより「天才の証明」
新年おめでとうございます!
本当に「おめでたい」と言える状態になれるよう、あとしばらくあがき続けよう。
しつこいようだが、現役生は間際まで伸び続けるというのは本当の話で、センターが終わり、約一ヶ月後に受けた大学の結果をみると、ラスト一月で偏差値が10上がったのではないかと思われる先輩もたくさんいる。
もしかすると、今は「けっこうつらい」と感じている人もいるかもしれない。
でも、いいことを教えてあげよう。大人になって仕事をはじめると、もっとつらい。
やることをやれば目に見えて成果がでる可能性が高いという作業が、いかに幸せであったか、いつか気がつく日がくる。
大丈夫、乗り越えられる。みなさんなら。
われわれ大人から見ると、そうやって頑張れる今のみなさんはうらやましく思えるくらいだ。
みなさんが持っている未来に対する嫉妬かもしれない。
もちろん、自分達も昔そうであったように、当事者でいるとそうは思えないだろう。
勉強すること自体にさえ懐疑的だったし、「君たちには無限の可能性がある!」などと話しかけてくる大人たちには冷めた視線を送っていた。
たしかに「無限」は盛りすぎかもしれないが、「可能性」そのものがあることは事実だ。
その可能性が何に出会い、何に対して発揮されるのか、それはわからない。
実際、人は何にでもなれるわけではないからだ。
羽生永世七冠も、この世に将棋がなかったら、寝癖も直せさない、さえないサラリーマンだったかもしれない。
オリエンタルラジオの中田敦彦氏はこう述べる。
~ 歴代世界最高といわれる、アルゼンチン代表のサッカー選手にリオネル・メッシがいます。メッシが天才といわれているのは、彼が天才だからではありません。サッカーという競技が存在したから、その競技がメッシの身体能力にフィットしたから、メッシは天才なのです。スポーツ競技がこの世にアメリカンフットボールとバスケットボールしかなかったら、天才にはなれなかったはずです。
何を言いたいかというと、私は常々、1つのグループや企業にいて、そこがどうしても自分に合わないと感じている人には、環境を変えるか、自分が従うルールを変えるかを提案しています。
ある場所で無能と呼ばれる人間が、ある場所では天才と呼ばれることがあります。もちろん、その逆も。天才物理学者のホーキング博士だって、漁船に乗れば無能です。彼に漁業はできません。 (中田敦彦『天才の証明』日経BP社) ~
自分を活かす場所を見付けられれば、誰もが天才と称される可能性をもつ。