水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

100万分の1の恋人

2018年03月01日 | 学年だよりなど

 

  学年だより「100万分の1の恋人」


 高梨沙羅選手、羽生結弦選手、小平奈緖選手、高木姉妹、本橋マリリン … 。
 アスリートの枠を越えて、ヒーロー・ヒロインとなった選手たちには「物語」がある。
 逆か。物語があったからヒーローやヒロインなれたのだ。
 すばらしい成績をあげている外国人選手に、日本の選手に対するほどの思い入れを抱くことが少ないのは、見る側に物語の蓄積がないからだろう。
 日本に暮らしているなら、日本人選手たちがどれほどの苦労を重ねているかを想像することが、外国選手のそれに比べればおそらくやさしい。
 どんな暮らしをしているのか、金銭的援助はどれくらいあるのか、毎日の送り迎えは誰がするのか、学校は通えているのか、友人関係はどうなるだろうか … 。
 物語が紡ぎ上げられる背景は、あらかじめ整っている。
 もちろん、日本人選手であっても、知ろうとしない人は知らない。
 それほど興味が無い人は、羽生結弦選手の演技に「よかったね」と言うだけだろう。
 小さいころからその姿を追い、東日本大震災直後「花は咲く」で舞う彼がまぶたにやきつき、平昌五輪直前に怪我をしたことを知っている人なら、彼がリンクに滑り出した瞬間に涙がこぼれる。
 同じ景色を見ても、見えているものは人によって全く異なる。
 純粋に同じ景色というものはないのだ。
 芸術作品にも同じことが言える。
 作品の背景にあるものを知っているかどうかで、見えるもの、感じるものは異なる。
 芸術作品は、先入観なく純粋な心で味わうべきだという考え方もあるが、人がこの世に生を受けて何年か経ったなら、純粋な無ではいられない。
 だとしたら、積極的に物語を知り、聞き、感じる人生を送った方が、いろいろなものが新しい姿で目の前に立ち上がってくるはずだ。
 自分のなかに物語をふやしていく場として、大学ほど恵まれた環境はなかなかない。
 人に対しても同じことが言える。
 出会った人がどんな「物語」をもっているかを知ると、その人の対する見方が変わる。
 小説『100万分の1の恋人』の主人公ケンは、大学院を終え、母校の高校への就職も内定し、恋人ミサキとの結婚を考えはじめていた。
 そんなある日、ミサキは「自分の父親はハンチントン病だ」と打ち明ける。
 遺伝性の難病で、自分も同じ遺伝子をもっている可能性が50%あると。


 ~ ミサキと別れることは考えられなかった。けれど、もう僕達は、昨日までの無邪気な二人に戻ることは出来ない。そのことにも気付いてしまった。いや、ずっと無邪気だったのは、僕だけだったのだろう。いずれにしろ、もうすべてが今まで通り、という訳にはいかなくなってしまったのだ。 (榊邦彦『100万分の1の恋人』新潮文庫) ~


 ケンが想像もしていなかった物語をミサキは生きていた。

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