3学年だより「日常力(2)」
「秋から実力を飛躍させる受験生」像は? と問われたなら、三十数年の教員経験から明確に言える指標がある。
多くの先生方の共感を得る自信もある。
それは「最後までちゃんと学校へ通う生徒」だ。
これができている人ほど、結果が伴うという事実は、統計的に示すことさえできる。
和田秀樹先生の指標「6・7」の対策としても、これほど確かなものはないだろう。
高校での授業も残り少なくなってきた。季節の変わり目でもある。
「なんとなく」体調がすぐれなくて、「念のため」休んで自宅で勉強することは、一見合理性が高いように思われる。
しかし、心のどこかで「楽な道を選ぼう」としている自分に気がついていることも多いものだ。
朝起きる、ごはんを食べる、着替える、駅に向かう、スクールバスに乗る……。
こんな日常のなんでもない行為にも、小さな壁がある。
どちらを選択するかの決断がある。
毎日小さくがんばる方の決断をし続ける人と、小さく逃げる方を選び続ける人とでは、それが積み重なると大きな差になる。
メンタルを強くするには、時間がかかるものだ。
毎日、小さな選択をし続けるしかない。
試合に例えるとわかりやすいだろうか。
いざという一瞬でどんな判断をするか。
ボールを蹴るのか、まわすのか。来た球をふるのか、ふらないのか。
誰にパスをするのか、自分でもっていくのか。打ち切るのか、フェイントか……。
それは、その瞬間の自分が判断しているのではない。
その時点の自分を作り上げてきた、何日、何年間、何十年間蓄積してきた自分だ。
その時の選択が、素晴らしい結果を生んだとき、周りの人は「センスがいい」とか「とっさの判断力は天性のもの」とか評したりする。成長論を知らない人の言葉なのだろう。
その一瞬のために、どれだけの蓄積があるのかを知っている人、経験している人は、簡単にそんな言葉を発しない。
試合に勝てるかどうか、結果を残せるかどうか、誰もわからない。誰もが不安だ。
そういう自分から目をそらすことなく受け入れ、乗り越えていくことにこそ今の意義がある。
「勝てる」という感覚は、日常の積み重ねの中から生まれる。
ふだんの生活が、試合の大切な一部だ。
残りおよそ50日間。皆勤してメンタルを鍛えていこう。それが年明けにいきてくる。
「秋から実力を飛躍させる受験生」像は? と問われたなら、三十数年の教員経験から明確に言える指標がある。
多くの先生方の共感を得る自信もある。
それは「最後までちゃんと学校へ通う生徒」だ。
これができている人ほど、結果が伴うという事実は、統計的に示すことさえできる。
和田秀樹先生の指標「6・7」の対策としても、これほど確かなものはないだろう。
高校での授業も残り少なくなってきた。季節の変わり目でもある。
「なんとなく」体調がすぐれなくて、「念のため」休んで自宅で勉強することは、一見合理性が高いように思われる。
しかし、心のどこかで「楽な道を選ぼう」としている自分に気がついていることも多いものだ。
朝起きる、ごはんを食べる、着替える、駅に向かう、スクールバスに乗る……。
こんな日常のなんでもない行為にも、小さな壁がある。
どちらを選択するかの決断がある。
毎日小さくがんばる方の決断をし続ける人と、小さく逃げる方を選び続ける人とでは、それが積み重なると大きな差になる。
メンタルを強くするには、時間がかかるものだ。
毎日、小さな選択をし続けるしかない。
試合に例えるとわかりやすいだろうか。
いざという一瞬でどんな判断をするか。
ボールを蹴るのか、まわすのか。来た球をふるのか、ふらないのか。
誰にパスをするのか、自分でもっていくのか。打ち切るのか、フェイントか……。
それは、その瞬間の自分が判断しているのではない。
その時点の自分を作り上げてきた、何日、何年間、何十年間蓄積してきた自分だ。
その時の選択が、素晴らしい結果を生んだとき、周りの人は「センスがいい」とか「とっさの判断力は天性のもの」とか評したりする。成長論を知らない人の言葉なのだろう。
その一瞬のために、どれだけの蓄積があるのかを知っている人、経験している人は、簡単にそんな言葉を発しない。
試合に勝てるかどうか、結果を残せるかどうか、誰もわからない。誰もが不安だ。
そういう自分から目をそらすことなく受け入れ、乗り越えていくことにこそ今の意義がある。
「勝てる」という感覚は、日常の積み重ねの中から生まれる。
ふだんの生活が、試合の大切な一部だ。
残りおよそ50日間。皆勤してメンタルを鍛えていこう。それが年明けにいきてくる。