学年だより「声かけ力(3)」
長女の奈美さんは、高校3年になり関西大学の人文福祉学部を第一志望にした。
母親が病気になる前には考えていなかった進路だ。
担任の先生からは、実力的に難しいと言われ、猛勉強をはじめる。
見事に合格を勝ち取り、入学、そして2人の先輩と知り合い、会社を立ち上げる。
「ミライロ」と名づけられたその会社は、高齢者や障害者など、誰もが利用しやすいユニバーサルデザインを考案し、実現する業務を行おうとしていた。
大学の講義が終わると、すぐにオフィスに行き、バリアフリーの地図を作ったり、施設調査をしたりする娘を、よくがんばるなあと他人事のように眺めていた。
そんな奈美さんは、母親が「死にたい」と口にしたとき、こう答えていた。
~ 「こんな状態で生きていくなんて無理だし、母親としてあなたにしてあげられることは何もない。もう死にたい。お願いだから、私が死んでも許して」
……きっと泣いているだろうと思いました。
「ママ、お願いだから死なないで」と縋(すが)られるんだろうとも思いました。
返事がないので恐る恐る視線を上げると、なんと奈美は泣きもせず、普通にパスタを食べていました。
驚いて言葉を失くしている私に向かって、奈美は言いました。
「ママ、死にたいなら死んでもいいよ」
私は耳を疑いました。
奈美は手にしたフォークを離さずに、続けます。
「ママがどんなにつらい思いで病院にいるか、私は知ってる。死んだ方が楽なくらい苦しいこともわかってる。なんなら一緒に死んであげてもいいよ」
奈美の目には、固い決意が宿っていました。
「でも、逆を考えてよ。もし私がママと同じ病気になったら、ママは私のことが嫌いになる? 面倒くさいと思う?」
「……思わないよ」
「それと一緒。ママが歩けなくてもいい、寝たきりでもいい。だってママに代わりはいないんだから。ママは二億パーセント大丈夫。私を信じて、もう少しだけ頑張って生きてみてよ」 (岸田ひろ実『ママ、死にたいなら死んでもいいよ』致知出版社) ~
「死んでもいいよ」と、娘から予想外の言葉を聞き、逆に岸田さんは考え方が変わる。
今の自分にないものを嘆いてもしょうがない、ゼロから自分の存在意義を考えてみようと。
つらい入院生活のなかでも、入れ替わり立ち替わり誰かがお見舞いにきてくれる。その人たちと話していると、かえって感謝される、逆に元気が出たと喜ばれるという体験をするようになる。
病院の看護師さんまでが病室を訪れ、悩みを相談しにくる。いっそ、人の心を開き、元気づける話し方を、ちゃんと学んでみようと岸田さんは考えた。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます