学年だより「声かけ力(4)」
岸田さんは、病床で心理カウンセラーの勉強をはじめた。
リハビリもはじまった。リハビリのつらさに、病室で枕に顔を押しつけて泣く日もあったが、大好きなミスチルの歌を聞きながら、頑張り続けた。
ある日、奈美さんがこんな提案をする。
「ママ、うちの会社で働いてみない? 研修サービスの講師をいま必要としているの」
大勢の人の前で自分が話せるのだろうか、失敗して娘に迷惑をかけることにならないか……。
不安にかられながらも、車椅子の社長、垣内俊哉さんにも勧められ、チャレンジすることにした。
「私は岸田ひろ実と申します。ご覧の通り、車いすに乗っています。今日は私に起こった転機と気づきを、皆さんにお伝えしたいと思います」……
原稿を間違えてないか、時間通りに進行しているかで頭のなかは一杯だ。
周囲の反応を感じる余裕もなく、はじめての講演を終え、ホテルで泥のように眠る。
翌日、参加者のある女性スタッフがかけよって岸田さんの涙ながらに手をにぎる。
「昨日のお話、感動しました。岸田さんにような方に喜んでもらえるお店を作ります!」
つい自分ももらい泣きしながら、ずっと緊張していた神経が緩んでいく。
その後、受け取った100枚以上のアンケートには、様々なメッセージが寄せられていた。
~ 「私にも娘がいるので感情移入しました。お話を開くことができて本当によかったです」
「車いすに乗っている人が困ることについて、よくわかりました。押し方のコツを直接教えてもらったので、自信を持って接客できそうです」
帰りの新幹線の中で一枚一枚目を通して、また涙が溢れました。
隣に座って心配そうに私を覗き込む奈美に向かって、言いました。
「今、車いすに乗っていて初めてよかったと思えたよ。こんな私でも必要としてくれる人たちがたくさんいるんだね」 「ママ……」
「私にこんな機会をつくってくれて、本当にありがとう。死なないでよかった。あなたのおかげだよ」そう伝えると、奈美の目はみるみるうちに潤んでいきました。 (岸田ひろ実『ママ、死にたいなら死んでもいいよ』致知出版社) ~
「ママは2億パーセント大丈夫」という娘の言葉が本当になった瞬間だった。
その後、正式に「ミライロ」の一員になり、全国をとびまわって活動する岸田さんが、講演や研修で伝えているのは、「さりげない気配り」だ。
「無関心」か「過剰」が、日本人の独特の反応だと岸田さんは言う。気になっていながら、どうしていいかわからずに知らないフリをする「無関心」、親切心でいきなり車椅子を動かされて怖い思いをさせてしまう「過剰」……。
まずは、気持ちを尋ねてみてほしいという。
「何かお手伝いできることはありますか?」と。
「何かお手伝いしましょか?……ゆーても僕、何したらええかわからんので教えてください」
笑顔で声をかける小藪さんは、講師の側にいる岸田さんでさえ感動してしまう「声かけ」だった。
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