今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

士への道

2008年02月29日 | 雑感

「もんじろう」という言葉・方言変換サイト(http://monjiro.net/)では、今「武士語」変換が一番人気がある。
たしかに、武家言葉(武士語)がもっと抵抗無く使えるようになるといい。

今しがた読んでいた深谷克己著『江戸時代の身分願望―身上りと上下無し』(2006年 吉川弘文館)の「あとがき」にこう書いてあった。

「ここ何年来、サムライ、武士、武士道などの言葉がよく使われるようになった。
歴史への関心の深い底には、不安感とか未来への怯えのようなものがあるという理解に立てば、そのことは、自分を何らかの自己規定や形ある形姿に鎧(よろ)いたいという、大げさにいえば主体形成への願望が奥底にあることの表現であろう。
「士」という文字が誇りの自己意識を与えることは、近年末尾に「士」をつける社会的資格がふえてきていることからもあきらかである。」

たしかに、日本人として誇らしいアイデンティティを求めるなら、その行きつく先は国際的にも人気ある人間モデルである「武士」だ。
かくいう私も、少年期には父からの”武士教育”に反発していたが、いつのまにか自ら武家礼法に携わっていくうちに、それなりの(非暴力的)武士道に目覚めてしまった。
それだけでなく、「気象予報士」にあこがれ、今ではそれをアイデンティティとして誇りとしている自分を思うと、深谷氏の指摘にあらためて、「それがしはもうすでに”士”になっているではないか」と気づかされた。
あとはよりいっそう武家礼法を身につけることだな。