東京での作業(原稿執筆)場になっている都立中央図書館が来月から今年いっぱいかかる改修工事に入るので、行き納めをしてきた。
ここはテーブルがゆったり使えて、開架書籍を気分転換に読めるし、レストランのメニューも手頃でお気に入りがあって、学生時代からずっと気に入っていた。
今夏の"書き入れ時"は、第二候補の国会図書館に通うかな。
さて、前々から感じていたのだが、仕事に電話(通話)を使う人って、効率悪い使い方してるね。
私は昼間は、授業や図書館での作業なので、当然電話には出れない(可能の場合は”ら抜き”を推進)。
すると「また、電話します」という伝言が残される。
こちらから電話してみると今度は相手が出れない状態。
こっちも用件がわからないから「また電話します」と言って切る(本来なら「電話ください」でいいんだけど、一応儀礼的に相手に負担かけない配慮をするわけ)。
このやりとりってまったくバカらしい。
用があって電話したなら、ちゃんと用件を言ってよ。
いや、仕事の用件なら通話ではなく、メールという記録に残る文書にするのが、21世紀の常識にしてほしい。
実際、自分の仕事関係(大学事務や同僚・学生との連絡)は対面以外はほとんどメールなので、24時間どんどん用件が進む(メールなら勤務時間外でも対応するのがめんどうでない)。
ところが、学外の民間の人の方が、かえって通話でやりとりしようとする。
そのあげく、メールなら30分間に1往復で終わる情報交換が、
互いに忙しい就業時間内の電話に頼るため、ほとんど情報のない数往復を含めて数日も要する。
日本のオフィスの生産性は、先進国の中でぐっと低いのは実感的にわかっているが(それを問題にする企業研究所にいたので)、会話に執着する旧来の対面主義がそれを象徴している感じだ。
文書交換だと、それだけで公式の仕事のやりとりになるのだが、口答でのやりとりって公式の仕事に入る前段階の口約束にすぎない。
その段階でぐずぐずして時間を費やして、仕事した気になってる(それとも、この人たちって、ビジネスにも情緒的人間関係を求めてるのか)。
あるいはこういう人たちって、メールは失礼で、電話の方がコミュニケーションとして格が高いと勘違いしているのかな。
何しろ、「メールで失礼」と書いてくる人はいるけど、「電話で失礼」って言ってくる人はいない。
電話の方がよっぽど失礼なメディア(来客中でも割り込んでくるアポなしの突然訪問に等しい)なのにね。
ここはテーブルがゆったり使えて、開架書籍を気分転換に読めるし、レストランのメニューも手頃でお気に入りがあって、学生時代からずっと気に入っていた。
今夏の"書き入れ時"は、第二候補の国会図書館に通うかな。
さて、前々から感じていたのだが、仕事に電話(通話)を使う人って、効率悪い使い方してるね。
私は昼間は、授業や図書館での作業なので、当然電話には出れない(可能の場合は”ら抜き”を推進)。
すると「また、電話します」という伝言が残される。
こちらから電話してみると今度は相手が出れない状態。
こっちも用件がわからないから「また電話します」と言って切る(本来なら「電話ください」でいいんだけど、一応儀礼的に相手に負担かけない配慮をするわけ)。
このやりとりってまったくバカらしい。
用があって電話したなら、ちゃんと用件を言ってよ。
いや、仕事の用件なら通話ではなく、メールという記録に残る文書にするのが、21世紀の常識にしてほしい。
実際、自分の仕事関係(大学事務や同僚・学生との連絡)は対面以外はほとんどメールなので、24時間どんどん用件が進む(メールなら勤務時間外でも対応するのがめんどうでない)。
ところが、学外の民間の人の方が、かえって通話でやりとりしようとする。
そのあげく、メールなら30分間に1往復で終わる情報交換が、
互いに忙しい就業時間内の電話に頼るため、ほとんど情報のない数往復を含めて数日も要する。
日本のオフィスの生産性は、先進国の中でぐっと低いのは実感的にわかっているが(それを問題にする企業研究所にいたので)、会話に執着する旧来の対面主義がそれを象徴している感じだ。
文書交換だと、それだけで公式の仕事のやりとりになるのだが、口答でのやりとりって公式の仕事に入る前段階の口約束にすぎない。
その段階でぐずぐずして時間を費やして、仕事した気になってる(それとも、この人たちって、ビジネスにも情緒的人間関係を求めてるのか)。
あるいはこういう人たちって、メールは失礼で、電話の方がコミュニケーションとして格が高いと勘違いしているのかな。
何しろ、「メールで失礼」と書いてくる人はいるけど、「電話で失礼」って言ってくる人はいない。
電話の方がよっぽど失礼なメディア(来客中でも割り込んでくるアポなしの突然訪問に等しい)なのにね。