多治見市で講演をしてきた。
夏の前に、”日本一暑い”多治見の暑気払いのため、
「恐い」体験をするイベントの1つとして、
「恐怖」を心理学的に解読する講演が計画された。
その講師として、私に白羽の矢が当たった理由は、
ネットで公開している拙稿「恐怖の現象学的心理学」が読まれたため。
こういってはなんだが、既存の恐怖研究では、
恐怖は”危険に対する反応”という生物学的視点の枠内に留まっているため、
夏の怪談で、恐さが楽しまれる現実を説明できない。
多治見市の担当者によれば、この問題に心理学的に言及しているのは、
ネットでは拙稿くらいしかないらしい。
なので、単なる恐怖反応の説明で終わらずに、
暑気払いとしての娯楽化された恐怖を説明することと相成った。
ところが、
残念なことに、今月に多治見は「暑さ日本一」の座からすべり落ちた。
多治見市民にとって、「暑さ」に対する自負は一気に冷めてしまったようだ。
そういうこともあってか、聴講の申込者は少なかった。
拙稿は一応学術論文なので、そのままを講演原稿にするわけにはいかない。
それに、せっかくの機会なので、危険でない恐怖、楽しまれる恐怖について、
より前進させた論究をしたい。
というわけで、講演で示すプレゼン原稿の作成はかなり試行錯誤した。
オープンキャンパスの模擬授業のように、何度も繰りかえした講演なら、
構成も話し方も一定の完成度で示せる。
ところが、今回のような初めての内容だと、直前まで試行錯誤し続けるので、
構成にも、話し方にも、未完成感が残り、いつも後味が悪い。
今回も、そうだった。
でもそのおかげで、恐怖についての考察を更に深める方向が見えたので、
それをもとに新たな論文「恐怖の現象学的心理学2」に着手することにした。
それが完成したら、より構成のしっかりした講演ができそうだ。
次回は満足する出来にしたい。
夏の前に、”日本一暑い”多治見の暑気払いのため、
「恐い」体験をするイベントの1つとして、
「恐怖」を心理学的に解読する講演が計画された。
その講師として、私に白羽の矢が当たった理由は、
ネットで公開している拙稿「恐怖の現象学的心理学」が読まれたため。
こういってはなんだが、既存の恐怖研究では、
恐怖は”危険に対する反応”という生物学的視点の枠内に留まっているため、
夏の怪談で、恐さが楽しまれる現実を説明できない。
多治見市の担当者によれば、この問題に心理学的に言及しているのは、
ネットでは拙稿くらいしかないらしい。
なので、単なる恐怖反応の説明で終わらずに、
暑気払いとしての娯楽化された恐怖を説明することと相成った。
ところが、
残念なことに、今月に多治見は「暑さ日本一」の座からすべり落ちた。
多治見市民にとって、「暑さ」に対する自負は一気に冷めてしまったようだ。
そういうこともあってか、聴講の申込者は少なかった。
拙稿は一応学術論文なので、そのままを講演原稿にするわけにはいかない。
それに、せっかくの機会なので、危険でない恐怖、楽しまれる恐怖について、
より前進させた論究をしたい。
というわけで、講演で示すプレゼン原稿の作成はかなり試行錯誤した。
オープンキャンパスの模擬授業のように、何度も繰りかえした講演なら、
構成も話し方も一定の完成度で示せる。
ところが、今回のような初めての内容だと、直前まで試行錯誤し続けるので、
構成にも、話し方にも、未完成感が残り、いつも後味が悪い。
今回も、そうだった。
でもそのおかげで、恐怖についての考察を更に深める方向が見えたので、
それをもとに新たな論文「恐怖の現象学的心理学2」に着手することにした。
それが完成したら、より構成のしっかりした講演ができそうだ。
次回は満足する出来にしたい。