学生時代の友人たちと小田原に行った。
小田原城と石垣山城の見学が主目的だが、行った途端に地元の名物料理の賞味がメインになってしまったのはこのメンバーではよくあること。
それはそれで楽しいが、このブログでは”山城巡り”をシリーズ化しているので、その部分に限定して記す。
そもそもタイトルにある小田原城は天守閣と本丸だけは過去にも数度訪れた。
だが、これで小田原城に行ったことにするのは、山城オタには許されない。
城とは建物ではなく、縄張りであり、小田原城の広大な城郭をこそ歩かねばならないのだ。
でも、箱根の温泉旅にちょっと立寄るには、それは無理だった。
そしてもう一つ、小田原の南西の山上にある石垣山城(秀吉が小田原攻めの拠点として建てた)は、これまたハイキングコースになっているので、箱根の電車旅では立寄れなかった。
つまり、両城ともそこを目的として訪れる必要があったのだ。
それが今回実現したのは喜ばしい限り。
JR早川駅の小田原港で海鮮バーベキューを楽しんだわれわれは、腹ごなしを兼ねて、西にそびえる石垣山をめざした。
近道となる直登コースを進み、体が火照る頃、石垣山に達した。
途中の道で散見したように、この山は石垣になる岩石が豊富。
秀吉がここに築城を決めたのは、小田原城を眼下に見下ろせる好位置だけでなく、築城の材料が足下に豊富にあったためでもあることがわかった。
実際、この城は「一夜城」の別名があるように、驚くほどの短期間(ただし82日)で完成
した。
一夜城の別名が有名なので、簡易な砦レベルを想像してしまうが、石垣城の名の通り、関東にはない、織豊型の最先端の技術を駆使した立派な石垣の城である。
この立派な城が、広大さを誇る小田原城を見下ろす山にあっという間にできたのだから、籠城に自信を持っていた小田原勢は度肝を抜かれたに違いない。
実際、本城の展望台に建つと、小田原の町並み=小田原城の総構えがすべて見わたせる(写真)。
ここから箱根登山鉄道の駅・入生田まで徒歩で降りようと思ったが3kmの距離に嫌気がさし、丁度来た市内観光用バスに乗って、小田原城の藤棚で降りた。
ここから、西にしばらく歩いて、小田原高校を過ぎ、小峰という所で、城の大堀切の底に入る。
ここまで歩いてきた道がずべて小田原城の城郭内なのだ。 しかもこの大堀切の深さもすごく、まるで天然の谷のよう(写真)。
いいかえれば、石垣がまったくない土の城の様相。
ここを抜けて、陸上競技場の手前で右折して八幡山古郭を抜けて、石垣と天守閣のある江戸時代の小田原城に下り立つ。
これらもすべて城郭の内側。
江戸時代を通してこの城は稲葉氏・大久保氏が居城としたが、5月3日にこの城内で行なわれる小田原市を挙げての祭は「北條五代祭」。
早雲(宗瑞)が乗っ取り、謙信が囲み、信玄が囲み、そして秀吉と家康が開城させた小田原城は、戦国時代の関東の最大・最高の城として、じっくり丁寧に訪れる価値がある。
ただし天守閣周囲の観光としてではなく、地道な縄張り歩きとして。