今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

湯島聖堂孔子祭に行く

2017年04月23日 | 東京周辺

わが小笠原流などの武家礼法の大本は儒教の「礼」である。
その本場の礼がいかなるものか知りたい(『儀礼』に詳細な記述はあるが実物を見たい)。

日本の儒教の本山ともいえる湯島聖堂(文京区)では毎年4月の第四日曜に孔子を祀る釈奠(せきてん)
今風に言い換えて「孔子祭」が開催され、参加自由というので行ってみた。


聖堂の本殿ともいえる大成殿には木造の孔子像が本尊として祀られている(写真右。まだ扉が閉じている)。
開始の午前10時直前に行ったが別段混雑はしておらず、一般見物人は、来賓や斯文会員の椅子席の後ろで立ち見。
式の最中も写真撮影はOK(左の人が進行役)。

まず神主が3名入ってきて、堂内の四方で幣(ぬさ)を振って修祓をする。
彼らは神田明神の神職だという。
これ以降、彼らが儀式を執り行う。
すでに着席していた神職衣裳の3名の楽師が雅楽を奏でる。
すなわち、儀式は神道式になっている。

孔子像に供物を供える奠饌の儀こそ、爵という古代中国由来の青銅器(私も持っている)を用いているが、
お辞儀は和風。

この釈奠は、聖堂を開いた林羅山が最初に実施して、明治維新で途絶えたというが、
もしかしたら最初からそのやり方までは日本に伝わらなかったのかもしれない(日本の儒は文献研究だから)。 

次の献茶は、煎茶の家元によるもので煎茶用の小さい天目茶碗が供された。
古代の団茶(中国では現存)ならぬ、そして抹茶よりも新しい煎茶というのも不思議。
煎茶は江戸時代に日本に広まったので同時期に始まった釈奠に適合しているといえるか(抹茶だと日本では仏教儀式になる)。

次に祭主や来賓が拝をする。
拝台(写真中央やや右)には鼎(かなえ)型の香炉とその右横に抹香が置いてあり、
祭主(聖堂を管理する斯文会理事)は仏式のように焼香する。
仏式と異なるのは、合掌せずにお辞儀をした点。
ところが、来賓の台湾の経済文化代表所代表は、焼香をせず、三回拝をし、合掌して、再び三拝。
三拝は儒教的だが、こちらは合掌が仏式だ(非仏式なら拱手)。

う〜ん、どちらも純粋な儒教作法とはいいがたい。
以前、正月にここの孔子像を参拝した際、そのやり方に戸惑ったのだが、
今回の儀式によれば和式のお辞儀に仏式合掌でかまわないようだ。

神職たちが退席した後、「講経」として日大の元教授が、論語の一節について、あちこちから語意を引用しての解説。
仏式の法話に相当する部分だが、論語の中身なので人生訓として価値がある。
それを聞いて改めて思うのだが、
釈迦よりもさらに古い時代の人の言行録が現代にも通用するのだから、やはり孔子様はすごい。

その後は、二松学舎大付属高校生たちによる「孔子頌徳の歌」の斉唱(昭和2年作)。
 仏式の和讚・キリスト教の賛美歌に相当。
入り口で受け取った式次第の紙に五線譜付きの歌詞が載っているのでそれを見ながら私も歌う。

以上でおしまい。
しめて1時間。


昼食時になったので、聖堂にちなんだ聖橋(ひじりばし)を渡ってお茶の水(千代田区)側の中華レストランに行く。
釈奠の祝宴のつもりで、青島(チンタオ)ビールとつまみのザーサイ、そしていつも通りの五目焼そばを注文。
さっそく撮影した釈奠風景をカメラの液晶で確認していたら、
水を運んできた中国人の若いウエイトレスがその画像(上の写真)に目を留めて、それは何かと聞いてきた。
上の写真にただならぬものを感じたのはさすが儒教の母国の出身者
(日本人だったら、質問まではしなかったろう)。

自分の勤める店のすぐ近くで、日本で唯一の孔子様の祭りが行われたことに彼女は驚き、
その行事をどうやって知ったのかさらに聞いてきた。
湯島聖堂のサイトでは公表しているのだが、確かに一般には知られていないよな。
儀式に関して言えば、かように儒教は消滅に瀕しているわけだが、
道徳としての儒教はわれわれの心の中には依然しっかり根を張っているのも確かだ。