今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

限界の石老山

2017年05月04日 | 山歩き

 GWのど真ん中の3連休。
初日は、近所の図書館で仕事をこなしたので、2日目の「みどりの日」は、山に行く。

そもそも私の本来の趣味は登山であるのだが、ここ最近まるで温泉がそれに取って代わったかのよう。
ストイックな行為がその正反対の安逸に流れているのは本来的ではない。
だが、それには事情があって、山を下るとき左脚の腸脛靱帯が炎症を起こして痛くて歩けなくなるのだ。
腸脛靱帯炎は、”ランナー膝”とも言われ、長い間の酷使によるもの。 
自分の登山歴の痛々しい勲章のようなものか。 

山とはいえない低い丘なら痛まない。
経験上、痛みだす山は標高700mあたり。
なので、これよりずっと高い山には怖くて行けない(山の中で歩行不能になったら帰れない)。
せめて限界ライン前後の山に、だましだまし行ってみたい。

そこで白羽の矢が立ったのは、相模湖(神奈川)の南にある石老山(セキロウザン)。
この山、三角点は694mなのだが、山頂は702m。
まさに限界ライン上だ。

そもそも石老山あたりは、山を始めて高尾山の次くらいに行くレベルの山なので、中学2年から山を始めた私にとっては、当初こそ候補地になったが、次々に行く山のグレードを上げていった結果、取り残されたままになってしまった。
相模湖という近場にありながら、そこからバスに乗るという手間が遠ざけていた理由でもある。
それゆえに、標高700m前後で登っていない山としては、第一候補に躍り出る。 

近場の低山なので、気が弛んで電車もバスも事前に時刻表をチェックせず、行き当たりばったりで向かう。
高尾までは京王線で行き、そこから乗り継ぎのためJRのホームに行くと、丁度ホリデー快速(小淵沢行き)が停車していた。
快速は相模湖に停車するかどうか未確認ながら、飛び乗って、相模湖に停車することを車内アナウンスで知ってホッとする(そこから先の駅は通過)。

相模湖駅に降りると、石老山方面のバス停にはすでに長蛇の列が(「プレジャーフォレスト」というレジャーランドと同じバス停だから)。
嬉しいことに、神奈中バスは臨時便を出してくれて、たいして待つことなく乗車し、レジャーランド入り口で降りる。
本来の登り口は次のバス停なのだが、バスはここが終点。

ここからなら、登り口を経由せずに、東海自然歩道を通って行ける。
何しろ、東京の高尾の森から大阪箕面の森を結ぶ東海自然歩道それ自体が石老山を通るのだ。 

山に囲まれたのどかな風情の新興住宅の前を通ると、その家の子どもとお父さんが挨拶をしてくる。
山だと山の人間同士は挨拶をするものの、地元の人とは、しかも新興住宅の人とは挨拶をしないが、逆に住民からすれば防犯の意味もこめて見知らぬ通行人には声をかけた方がいいだろう。

東海自然歩道は、あまり人気がないようで(私も興味なし)道こそ荒れ気味ながら、道標は充実してて、迷うことはない。 

やがて本来の登り口からの車道と合流し、病院脇から登山道になる(高尾からこの付近にかけては山の中に病院がある)。
といってもこの山の中腹にある顕鏡寺という古刹の参道でもあり、ここから石老山の名の元になった礫岩の巨岩が次々登場する。 

顕鏡寺からは、東の津久井方面が見渡せ、昨年行った津久井湖畔の城山がぼつんと平野から飛び出している。

登りはもともと痛みはこないが、登りの負荷が下りになって響いてくるともいえるので、登りの段階で腸脛靱帯に負荷をかけないよう対処する。
具体的には、まず筋肉をサポートするアンダータイツを履いてきた。
そのタイツが腸脛靱帯もサポートしてくれるとありがたい。 
そして登りはじめる時に、腰にコウノエベルトを装着した。
骨盤の左右のブレが腸脛靱帯を引っ張ってしまうので、このベルトで骨盤を固定するのだ。
さらにストックを1本右手に持ち、左足の踏み出しとともに地につけて、左足の踏ん張りを軽減する。
最後に着地足の重心を内側にして、外側の靭帯を緊張させないようにする。
すなわち、骨盤から足までの総合的な対応をする。
登っている間、左脚に違和感を覚えるが、痛みには到らない。
融合平という中腹の平坦地に達すると、道も平坦になり(写真)、気分的に楽になるが、山頂はまだまだ先。

融合平の展望台は素通りして、山頂を急ぐ。
再び傾斜が急になる。

一人で山に入ると、すれ違う登山者と挨拶を交わす以外は終始無言。
この暇な時間を使って、今回は滑舌をよくするために、早口ことばを練習する。
私が苦手なのが「武具馬具武具馬具 三(ミ)武具馬具。合わせて武具馬具、六(ム)武具馬具」というやつ。

これをまずはスローペースで言い、それでうまくいえるようになったら、ハイペースにする。
スローペースだと言えるようになったが(それまではスローでもダメだった)、ハイペースにするとまたダメになる。
システム2の注視による身体運動モニターがシステム1の無自覚的身体運動に移るとうまくいかない。
この両システム間の橋渡しが、「繰り返し練習」という身体化過程なのだ。

そうやって一人で「ブグバグ」言いながら登っていると、山頂に着いた。
山頂にはすでに多くの人たちが備付けのイス・テーブルで昼食を摂っている。
単独行の私は遠慮気味に、隅のイスを探すが、丁度空いたイスが、富士山真っ正面の特等席。

丹沢の大群山と道志の御正体山の間から真白き富士を拝む(写真)。

軽く食事(コンビニで買った菓子パンとおにぎり)を済ませていると、楽しげな大学生の男女グループから記念撮影のシャッター押しを頼まれる。
そういえば、自分が大学1年の時、入ったばかりのサークルのハイキングでこの石老山の中腹の展望台まで来たことがある。
ハタから見れば、今回のグループのようにまさに青春まっさかりの男女グループで、その後相模湖で同輩の女子とボートに乗ったなぁ。

その懐かしの展望台方面に下る。
いや思い出に浸ってなんかいられない。
いよいよ正念場の”下り”が始まる。
いままでの装備に、膝用のコウノエベルトを左膝に装着し、靴ひもを引き締めて、靴の中で足が遊ばないようにする。

そうしてスタスタ軽快に降りる。
さきほどの大学生グループを追い越し(山道は、いわば1車線道路で追い越し車線はないので、追い越させる人たちが立ち止まって追い越しをさせてくれる)。

さらに前方にいる人たちを次々上の要領で追い抜き、最後の谷沿いの急斜面では、両手を使って難渋している初心者たちを尻目にストックでバランスをとりながら追い抜いていく。
調子に乗って急斜面をスタスタ降りていったせいか、いつの間にか左の腸脛靱帯の負荷が限界に近づいてきたようで、違和感が別の感覚になりつつある。
左脚に負荷をこれ以上与えないため、左斜めに向いて、右足から降りるようにする。
幸か不幸か、腸脛靱帯が悲鳴を上げる直前に、山の下りが終った。

「幸か」というのは、 今回は700mの山ながら痛まずに下山できたから。
「不幸か」というのは、今回も腸脛靱帯炎を克服できたわけではないため。
石老山はまさに限界ライン上の山だった。 

いずれにせよ、山道が終って林道になったので、ここからは靭帯炎を気にしなくてよい。
ふたたび「ブグバグ」とつぶやきはじめて(けっこうハイペースでも言えるようになった)、往きと同じバス停に着くと、1時間に一本のバスが来る10分前。
今日はやけに、乗り継ぎがスムースだ。

そんな中、最後の最後、駅の階段を降りる時、腸脛靱帯炎の痛みが走った。
でも今までよりは、軽症だ(以前は駅の階段をまともに降りれなかった)。
これを今後の希望としたい。