人は自分に都合がいい情報をあえて選択し、信念を強化したがり、逆の情報は素通りし、また難癖をつけたがる(認知的不協和)。
肉食(特に牛や豚の赤肉)は健康にいいのか、悪いのか。
この問題も、その心理傾向から自由ではない。
それを心に止めつつ、できるだけ客観的に論じたい。
客観的に論じるには、「科学的エビデンス」に頼るのがいい。
つまり、単発の研究結果を金科玉条にするのではなく、研究として信頼できる多数の結果のメタ分析をすることによって、
単発の研究結果(もちろんそこでも統計的検定はされているのだが)に入り込んでいるそれぞれの偶然要因(非制御要因)を相殺できる。
言い換えると、メタ分析によるエビデンスによって、自分に都合のよい単発の結果を信じる過ちを制限できる。
肉をどんどん食べるべきという「糖質制限」は、私の知る限り、理屈先行でエビデンスに乏しい。
そしてエビデンス側からみると、赤肉そのもの(付随する添加物や脂肪ではなく)に、発がんリスクが認められる
(『エビデンスで知るがんと死亡のリスク』安達洋祐☞記事へ)。
アンチエイジング研究側からも、同様な結果を得ており(『アンチエイジング医学の基礎と臨床』日本抗加齢医学会☞記事へ)、
さらにそこの参考文献として紹介されている『葬られた「第二のマクガバン」報告』(キャンベル&キャンベル)では、
魚・乳・卵も含めた動物性タンパク自体が、健康を損ねる物質として指摘されている
(健康に必要なビタミン B12だけは肉から摂れるので、これはサプリなどで代用するしかないという)。
ただしこの本は、著者自身が実施した「チャイナ・プロジェクト」という大規模な中国での調査結果が根拠であり、
単発研究としては統計的に問題はないが、メタ分析という視点からは弱い。
一方、この本でも問題にされているように、「動物性タンパクは健康に悪い」というメッセージは、食肉業界(アメリカでは巨大産業)にとっては死活問題なので、強烈な反発・逆襲が発生している。
産業構造全般に影響を与える可能性があるのは確かだ。
ところで、マクロビオティックという動物性タンパクを摂らない食事法が戦前の日本で開発され、
それがまさに上掲書のインパクト以来、世界的に注目されているという。
ただそれを実行していたスティーブ・ジョブズはすい臓ガンで高齢になる前に死亡した。
もちろん、個別事例はエビデンスにはならず(発がんの原因は食事だけではない)、
逆に牛乳も飲まない菜食主義を長年実行しているポール・マッカートニーは70歳すぎても日本にまできて元気にコンサートをこなしている。
さて結局、われわれは肉をふんだんに食べるべきか、むしろ徹底的に排除すべきか。
この二者択一的思考から救ってくれる高次の現象に「ホルミシス」がある。
ホルミシスとは、多量に摂取すると明らかに害があるにもかかわらず、ごく少量だとかえって健康効果がある現象(放射線、紫外線、硫化水素など)。
これをより普遍的に解釈すれば、摂取量と健康との関係が、直線的ではなく放物線になる現象。
この現象は酸素からアルコール飲料まで適用範囲が広い。
たとえば、筋繊維を敢て破壊して増大をもたらす身体運動の物理的ストレス、
さらには気持ちに張りを与えうる精神的ストレスもこの現象に当てはまる。
そして、活性酸素を発生させるという酸化ストレスも、少量なら防衛能を高めるという(ホルミシス現象にとって必要な情報は、
その少量の限界値、実害発生の閾値、そして最適値であり、それらの数値がないと使えない)。
人間の頭にとって、直線的現象は単純な論理(一次関数、小学生レベルの算数)で受け入れやすく、
放物線的現象(二次関数)は言語論理での適用がむずかしく、中学生レベルの数学的方程式で理解するしかない。
肉食についてもホルミシス的に考えれば糖質制限派、あるいは現代アメリカ人のように強迫的に動物性タンパクを摂ることはせず、
ビタミンB類を摂る意味で徹底的に排除することもせず、適度に(どちらかといえば抑え気味に)食べればいいのではないか
(同じことは、”糖質”についてもいえる)。
これは、投資の戦略と同じで、あえて正反対方向にもバランスをとることで、総合的なリスクを低減するやり方である。
糖質制限、菜食主義の両極端が潜在的にかかえているリスクを相殺するのである。
結局はバランス(中庸、中道)、という平凡な結論に落ち着くのだが、
実は直線的思考で一方向に行きやすい人間にとっては、そのバランス(放物線的思考)が難しいのだ
(頭で受け入れにくく、しかも実行しにくいから好まれない)。
左右に対称的な形態、骨格の両側についている筋肉分布、自律神経として正反対の作用をする交感神経と副交感神経、
これらを見ても人体そのものはバランスを実現するメカニズムになっている。
後は頭がそれに追いつくしかない。