今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

”振り出し”の高尾山

2020年12月13日 | 山歩き

東京八王子の高尾山(599m)といえば、ケーブルカーが麓から中腹に架かっていて、子どもでも登れる行楽地。
都内の小学生ならまず遠足に行くところで、私も小学校4年の遠足ではじめて登った、都民にとっての”振り出しの山"。

私にとっては、中学で山をやってからは、陣馬山からの奥高尾縦走の最終通過点の位置に甘んじるようになったが、
高校の時は大晦日の夜の初詣警備のためボランティアで山中を巡回し、
その後も、暇つぶしの足慣らしに通ってきた(このブログでも記事多数→カテゴリー「山歩き」)。

近年、左脚の腸脛靱帯(腸骨=骨盤から膝に達する長い靭帯)を痛めて、山の下りで歩行困難になったので、リハビリ登山を高尾山から始めて、徐々に高度を挙げて1200m台の丹沢大山まで達した。
そこにコロナ禍が来て、外出そのものが抑制される事態に。
そして、その間に、狭心症に見舞われてしまった。
登山にとって致命的なことに、下半身の脚部の障害に加えて、上半身の心臓にもトラブルが追加されたことになる。
山を歩けない人生など考えたくもない。
ならば、この二重苦をなんとか克服するしかない。

ということで、その狭心症からのリハビリ登山を、またまた高尾山から始めたい。
かくも高尾山は、私にとって3度目の”振り出しの山”に選ばれたのだ。

高尾山は、都心から距離が近いだけでなく、登り口まで新宿から直通電車が通っているので、早起きせずにフラリと行ける。
山中の幾本もある道はすべて頭の中にはいっており、山麓・中腹・山頂に食事を摂れる店があるので、装備も楽(昼食の装備不要)。
かように東京近郊で一番気楽で便利な山だから、振り出しの山となるのは必定。

循環器の担当医からは、運動の許可を得ている。
もちろん、発作が起きた時用に処方されたニトログリセリンの錠剤をポケットに忍ばせる。
そして腸脛靱帯を支える専用サポーターも装着して出発。

登りは、あえて傾斜のきつい直登の琵琶滝コースを選び、久々の運動による汗をかく。
心拍は70台で、冠動脈に違和感はない。
斜面を登りきって、ケーブル山上駅付近に達し、そこからはケーブルからの観光客と合流して、ほぼ平らな1号路(メインストリート)に沿い、木漏れ日が差す薬王院への参道を進む(写真)。
マスクをしている人もいるが、していない人もいる。
山の上なので基本マスクは不要で、私もマスクを顎に下げる。
高尾山を修験の場とする薬王院の本堂・飯縄権現堂・不動堂、そして最奥の富士浅間社(北条氏康建立)を次々と参拝し〔高尾山は関東有数の霊山)、正午前に山頂に達した。

山頂にはそれなりに人がいるが、昨年までの休日のような腰を下ろす余地すらないほどの混雑ではない。
そいうこともあって山頂の茶屋で山菜そば〔900円)を食べる(日曜の昼時に並ばずに入れるなんてラッキー)。
隣の卓では田楽を肴にビールを注文していて、一汗かいた山頂なので私も咽喉が鳴るが、山ではこれから待つ”下り”こそ危険度が高いので、山中ではアルコールは摂らず、持参した水道水で咽喉を潤す。

山頂は、南側の展望が開けているが、高尾山より千メートル以上も高い丹沢山塊を見上げる形になり、さらにその奥の富士をさらに見上げる(写真:富士左の三角の山は丹沢の大室山1588m)。
言ってしまえば、ここは富士や丹沢大山というより高い霊山の遥拝場ともいえる(12月下旬だと、ここから富士山頂に日が沈む)。

下りは、これもいつも通り、一番長距離の稲荷山コース。
ストックを右手に持って、左脚の腸脛靱帯をかばいながらスタスタ下る。
斜面に対して足先を左斜めに向けることで、左外側の腸脛靱帯をかばうことができる。
そうやってスタスタ降りて、ケーブル駅のある登り口に降り立った。

結局、冠動脈も腸脛靱帯も静かだった。
これで”山”の最低ラインを突破できたことになり、次のより高い山に行くことができる。
ありがとう、わが”振り出し”の高尾山。