今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

夢を見る心・序:睡眠

2021年09月21日 | 心理学

私の「心の多重過程モデル」では、知・情・意に代表される心の諸機能がそれぞれ多重構造をなしており、意識も例外ではない。
心を幅広く捉えるこのモデルでは、覚醒時だけでなく、睡眠と夢という現象(体験)も意識の多重性によって説明できるのではないかと考えている。
それについて論文作成時よりも自由な思考でここにシリーズ化してみたい。

まず睡眠から始めよう。
睡眠は、覚醒にとっては、自らを否定する不気味な状態だ。
私もそうだったが、子どもは眠るのが嫌いな傾向がある。
楽しいことは起きている時に経験でき、眠ると二度と起きられないかもしれないという不安があった。
睡眠の果ては死である、ということにうすうす気づいていたようだ。
大人になって、睡眠は無駄な時間でしかないという考えが加わると、睡眠嫌悪はさらに高まり、「睡眠恐怖症」となる場合がある。

確かに睡眠は、昼間の活動に対する休息・内的修復の時間という意義は分かるが、人生の1/3もの時間を占めるのは多すぎる気がしないでもない。
忙しい現代人にとっては、睡眠はできるだけ短時間で済ませたいという思いになるのも分かる。

では、睡眠は不快で無駄でしかないのか。
欲求の階層構造で有名なマズローは、最下層の生理的欲求に、睡眠の欲求を入れている。
欲求が満たされる時が快である。
眠気にゆだねて睡眠に入る時、それは恍惚の時間ともいえる。
われわれが死を迎える時、眠るように死ねたら、どんなにいいか(多くの死は死ぬほどの苦しみの果てにある)。

さらに、熟睡の時こそ、すなわち意識が完全になくなっている時こそ、真の自分になっているという考えがある。
ヒンズー教の根本教典である『ウパニシャッド』だ。
覚醒時の雑念だらけの意識は、真の自己ではなく、意識が機能停止した状態こそ真の自己(アートマン)が作動し、宇宙の原理であるブラフマンと交流できるというのだ。
熟睡したあとの心地よさは、アートマンになっていたためであるという。
そして、覚醒時にも、表層的な自我意識から脱してアートマンの作動を可能にするのが”瞑想”であるという。
つまり覚醒時の意識こそ邪魔だという思想だ。

私の「心の多重過程モデル」では、睡眠は「システム0」という心の基底的サブシステムの作動によっている。
睡眠とは心の一つの状態である。
ただ、深い睡眠での徐波(δ波という脳波)は周波数が1㎐を切り、時に0.5㎐というとても緩い波になる。
そして周波数がさらに減って0になると、それは脳死を意味する。
なので睡眠は死に繋がるというのも、脳波的には理解できる(もちろん両者には質的な相違はあるのだが)。
この死に近い睡眠をきちんと取ることが、かえって健康にいい(長寿)という客観的事実も面白い。
睡眠は短い”生”を延長してくれる効果があるのだ。

そしてその睡眠と覚醒の間にあるのが、夢という不思議な体験。
睡眠の中で、目覚めているというパラドックス。
これは固有の意識現象といえる。
次回から夢の話に入る。