今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

夢を見る心①:昼の名残、明晰夢

2021年09月23日 | 心理学

フロイトが『夢判断』(1899年)で夢は無意識によるものとして以来、夢は無意識を知る王道として重視された。
彼の説によれば、夢がへんな内容になっているのは、無意識の内容が超自我の検閲によって無理矢理改変されたためで、夢解釈でその改変の逆過程をたどれば、無意識の内容がわかるという。
フロイトは夢の真の内容を抑圧された願望(性的、親への憎悪など)に還元する傾向を示したが、ユングは個人的無意識に還元する以上に、さらに深層の集合無意識による元型的・神話的解釈の可能性を示している(私個人はユング的解釈が好み)。

科学的には、脳波等の生理的指標によってレム(REM)睡眠とノンレム睡眠の二種類の睡眠が分離され、夢見は主にREM睡眠での現象とされている。
最近では脳神経科学によるさらに詳細な睡眠中の脳活動が研究されている。

しかし、夢を見ているか否か、さらにはその内容にいたっては、客観的な測定は無理で、本人の報告に頼るしかない。
私は大学での以前担当していた心理学の授業で夢の分析法(個人的連想を使う)を紹介した後、学生に自分の夢を分析するレポートを課していた(現在は、この内容の授業はやっていない)。
それによって、自分以外の夢の報告例を沢山得ることができた。

その中での特徴的な夢のパターンを紹介し、夢という心の現象の可能性を考える材料としたい。

【昼の名残】
夢には、昼(当日の寝る前)の経験がそのまま出現する場合がある。
これはフロイトが「昼の名残」と命名したもので、深層心理的な意味はなく解釈に値しないとした。
 その後、DNA発見者の一人である生物学者のクリックが、夢は昼間に経験したことの中で記憶する必要のないものを消すための作業だという”逆学習説”を唱え、これが心理学者の間に一斉を風靡した時期があった。
つまり夢は心にとって価値のない記憶の廃棄作業であり、その夢には深い心理意味などはなく、解釈は無意味だということである。
テレビでこの説を主張していたある心理学者に、テレビスタッフはでも前日の経験にはない、もっと昔の知人などが夢に登場する場合があることを反証として挙げたら、
逆学習説に固執するその先生は、前日に一瞬でもその人を思い出したかもしれない、とへ理屈で反論した。
前日よりずっと過去の記憶が夢の材料になるのなら、それは逆学習を乗り越えて記憶された対象であるわけで、前日にその人を思い出す必要もなく、単純にその人の記憶が素材になったということで済む話だ。
第一、上に記した通り、「昼の名残」は解釈するに値しないことは、フロイトも認めている。

昼の名残は、クリックがいうほど毎回見るものではない。
なので逆学習が夢の本質とは認めがたいが、珍しくない程度には見る夢ではある。
学生の夢解釈レポートでは、前の晩にテレビで観た芸能人がよく夢に登場する。
特別ファンでもない芸能人が登場するのは、このような「昼の名残」である場合が多い。
私自身では、学生時代にコンパ(飲み会)の後の酒の入った睡眠では”必ず”コンパの続きの夢を見た。
これは楽しかったからもっと続けていたいという願望の現れだ。
まさに分析の必要がない単純な夢だ。

【明晰夢】
明晰夢は夢の中で、これは夢だと気づく現象。
睡眠中の覚醒というだけでパラドクシカルな夢なのに、さらにその中で、これは幻想にすぎないと、その幻想内で気づくという二重にパラドクシカルな体験である。
私も幾度か明晰夢の経験があり、鮮明に記憶に残っている数十年前の例を挙げる。

「仲間たち数人でオープンカーに乗って、奥多摩の渓谷脇の露岩(道路ではない)の上をガタガタ揺れながら車を飛ばしていたら、勢い余って車が断崖を突っ切って、空中に飛び出してしまった。
うわっまずい、と思ったが、車は落ちることなく、そのままの高さで空中をふわふわと進んでいる。
その時、これは夢だと気づいた。
そして、車が空中を走るなんて、さすが夢だなーと同乗者たちと言い合って笑った。」

この場合、私だけでなく、夢の中の他の登場人物も夢であると自覚したことになる。
ということは、自分で気づく以前に、夢の登場人物から、これは夢だと教えられることもありうる。

明晰夢自体はめったに見るものではないが、面白い体験なので、あえて見たいという人もいるようで、明晰夢を見る技法というものがある(興味ある人はネットで検索してみよう。寝る前に「明晰夢を見る」という強い意思をもつことが基本だ。明晰夢を見る装置※というのもある)。
※:今でも販売されているか知らないが、それは目を覆うバンドにセンサーが着いていて、それを装着して睡眠し、REM(急速眼球運動)になるとそれが反応して、小さく点灯し、夢の中でその点灯がわかるというのだ。私も購入して、装着してみたが、バンドの装着感が邪魔で、寝ている間に外してしまった。

では明晰夢の最中に、その夢から覚めることはできるのか。
私が最初に明晰夢を見たのは小学校入りたての頃で、夢の中で近所の銭湯にいて体を洗っていた。
その時、これは夢だと気づいた。
当時私は眠ることが嫌いだったので(幼い子供に多い)、夢から覚めようと思って、丁度裸なので出ているお尻に手をもっていき、思い切りつねってみた。
残念ながら、まったく触感がなく(指にもお尻にも)、夢から覚めることができなかった。

現実では、ほっぺたをつねって痛ければこれは夢でないと分かるが、夢の中では体をつねっても無駄なようだ。

実は上記した大学で授業の学生に対して、私は図らずも明晰夢を見やすくする負荷を与えていた。
学生に自分の見た夢を解釈する課題を出していたわけだが、
そうすると、学生にとっては見た夢をレポートにするというプレッシャーを抱えて睡眠に入ることになる。
その結果、学生の出したレポートには、
夢の中で、今自分が見ているこの夢を課題のレポートにしようと思い、その場でレポートを書きはじめる、という夢のレポートが散見した(決して多くはないが毎回複数出る)。
この場合も、レポートの負荷が夢にまで作用して明晰夢化したわけだから、上で紹介した明晰夢を見る方法と同じく寝る前の意識が明晰夢を見やすくするのは確かだ。

【回帰夢の明晰夢化】
繰り返し見る夢を「回帰夢」というが、客観的に繰り返し見ているかは不明だが、夢の中で、「この夢、前にも見たぞ」と確信する時がある。
その感覚は覚醒時のデジャブー(既視感)と同じで、具体的な過去の経験は思い出せないが、”このシーン前にも経験した”という確信的に強い想起感を伴っているのが特徴。
これは夢であることを気づいている点で明晰夢なのだが、強い想起感(回帰夢)の方に気持ちがとらわれているため、本人が明晰夢であることに気づいていない。
その意味で、明晰夢であることに気づかない明晰夢である(トリプル・パラドックス)。
ちなみに、実際に回帰夢であるかどうかは、夢日記をつけていないと確かめられないが、回帰夢である場合、夢は無意識からのメッセージとみなすユング的には、無意識が意識に対していいかげん気づいてくれ!と焦っているためであるという(きちんと解釈すべき夢だということ)。

続く。