今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

高崎観音に行く

2022年09月10日 | 

9月10日、高崎観音に行った。
なぜなら、夏に買った「青春18きっぷ」の使用期限が今日9月10日で、最後の5回目を帰名(名古屋に帰ること)に使おうと思っていたら、週末に帰名する用事がなくなってしまった。

そこで余った18きっぷの1回分を10日にどう使うか考えた。
18きっぷ1回分は2400円ほどだから、おおざっぱに言って片道100kmあれば往復して割安となる。
5回分まとめて買うので、使わないと2400円分が無駄になる。

東京から100kmというと、熱海・甲府・高崎・宇都宮・水戸など選択肢に不自由はない。
熱海(日帰り温泉?)はいつもの名古屋往復で通っているので、別の路線がいい。
第一候補は内房線の太海(安房鴨川と館山の間にある外房側)だったが、片道4時間すなわち往復8時間もかかるので断念。
※:”つげ義春”の聖地巡礼の地。ここには館山に泊まって訪れることにする。
甲府(武田神社に行きたい)も片道3時間かかる。
時間がかかる所はそれだけ早起きしなくてはならないのが、この歳でもつらい。

快速が走っていて距離の割に所要時間が短いのは、高崎と宇都宮(熱海も快速がなくなった)。
宇都宮(栃木)は以前行った(大谷観音・宇都宮城・餃子)ので、今回は素通りばかりしている高崎(群馬)にしよう。

高崎といえば、丘の上に屹立している高崎観音だ(写真)。
"(巨)大仏巡り"も趣味にしているので、ここに行けばいい。
※:すでに行ったのは鎌倉大仏、大船観音、鹿野大仏、東京大仏、牛久大仏。ただし見るに値するものに限定。
これで決まり。

前の晩にネットで高崎観音までのバスの時刻表を確認し、それに合わせて、快速高崎行きに乗る。
高崎駅に降り立ち、観光案内所でバスの時刻表と観光地図をもらって、小さめの「ぐるりんバス」に乗る。
この手のバスは運賃は定額(200円)だが、スイカには未対応なので、現金の用意が必要。

バスは高崎の西にある観音山を大回りし、白衣観音前でバスを降りる。

正式名称高崎白衣大観音は、昭和11年に井上保三郎という個人によって建立されたもので、高さ42mもあって、今でも高崎市のシンボルである。
300円払って胎内に入るが、戦前の造りなので、牛久大仏のようなエレベータ設備はなく、狭い階段を登る。
最上階の9階は像の肩ほどの位置で、窓から眼下の高崎市街や周辺の山が望める。

この大観音を護持(管理)しているのは慈眼院という真言宗の別格本山なので、胎内に弘法大師の像があるのはわかるが、なぜか日蓮上人の像もあった。
外に出て、まずは御姿を買い(300円)、周囲の堂を巡る。
慈眼院の本堂奥には小さなたくさんの観音像があるが遠目ではよく見えない。

本堂のお参りをする(賽銭箱の)正面に「ここはお寺ですので、柏手(かしわで)は必要ありません。静かに合掌してお参りください」と注意書きがあった(日本に仏教徒としての常識を持った人が減ってきていることは、私も実感している→お寺での参拝の仕方)。

改めて見上げる大観音は、数度の修復もあって、古びた様子もなく、何より基本的な造形がしっかりしている。
安っぽくなく、威厳があるのは確かだが、惜しいことに頰がもう少し細ければ現代的な美人に見えただろう(白衣観音は女尊)。
居並ぶ土産物屋にはこの像の様々な大きさのミニチュアが置いてあるが、大船観音と違って、求めることはなかった。

所々空き家となっている参道商店街を抜けて、山頂駐車場に達する。
ここからも高崎の市街地が一望。

ここから道が2つに分かれて、洞窟観音は遠く往復するとバスの便に間に合いそうもないので、近くの清水寺の道を選ぶ。
その清水寺の手前に田村堂というお堂があり(写真)、堂内には、幕末の下仁田戦争で水戸の天狗党と戦って死んだ高崎藩士31名と民間人5名の全員が、当時の衣装をまとった木像として作られて祀られている。
位牌ではなく、死者の姿を、しかも通りいっぺんではなく、各人の個性を表現して造られているのだ。
堂入口の説明板によれば、実際これら木像は本人の写真や遺族からの証言などを元に作られたという。
このように死者を木像にして祀るのは、青森で八甲田雪中行軍の遭難者について見ているが、あちらは一律な作りで、ここまで一人一人の姿にこだわっていない。

そういう珍しさに負けて、堂内で目の前の木像にカメラを向けて、電源スイッチを入れたら、なぜかカメラの動きが止まって操作不能になってしまった(スイッチを入れた時の電源エラーは度々あるが、その場合はファインダにエラーメッセージが出る。今回のようにそれすら出ずに作動が止まる現象は初めて)
これは「撮ってくれるな」という彼らからのメッセージだと思い、急いで堂から出て、外でカメラの電池を入れ直すと、今度は無事にスイッチが作動した。
もちろん、堂内でカメラを向けることは止め、改めて合掌して死者たちの冥福を祈った。
落ち着いて木像を見ていくと、15歳が1人、16歳が2人いる。
少年の身で戦死したのだ。
幕末は本当に、有為な人材たちがたくさん死んでいった。

坂野上田村麻呂にちなむ清水寺(京都の清水寺を勧進)も参拝し、長い石段を降りる(写真)。
この石段とそれに続く参道で、清水寺こそがこの地(観音山)の観音の元であることが実感できる。
馬頭観音堂(賽銭の代わりに「施餓鬼」とある)を過ぎて、518段を降り切ったところで観音山から降りたことになる。

ぐるりんバスのバス停があるが、待ち時間がたっぷりある。
スマホの地図で駅までの徒歩の所要時間を探ると、ここにいてバスに乗る頃に駅に着いてしまう。
駅までは2kmないので、駅まで続く「観音道」を歩くことにした。

駅ビルで、家の土産に、地元の漬物と地酒「高崎」を買い、今回最後の18きっぷを有人改札で提示して高崎始発の鈍行に乗った。