今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

聖天堂開帳の高尾山に行く

2022年09月11日 | 東京周辺

週末の名古屋の用事がなくなったので、東京宅にいて、昨日は高崎観音、そして今日の日曜は、高尾山薬王院の年に一度(9月の第2土日の2日間)の聖天堂開帳に行ける。
これに行けるのは例年スケジュール上無理だったが、今年は職場の担当割当てのおかげで在京できるので、この機を逃すわけにはいかない。

聖天堂は薬王院本堂の左横、愛染明王堂の並びにあるのだが、明王堂と違っていつもは扉が閉じてある。
象頭人身の二者が抱き合っている聖天(別名、歓喜天)は、現生利益のパワーが強いと言われているので民間でも人気だが、その割に、その形態からか、基本的にはどこでも秘仏になっている。
また安易(プラベート)に像を祀るものではない(十一面観音とのペアが必要)とも言われていて、私も仏像フィギュアとして欲しかったが、あえて蓋のあるミニチュア像にして、蓋をしたまま(秘仏状態にして)名古屋宅の仏壇に(十一面観音のフィギュアを前立ちにして)置いてある。

高尾山といえども、久しぶりの"山"で、夏前に買った山靴の慣らしも兼ねたい。
ただし霊山のご開帳に行くので、登山・ハイクというより(修験道の)”峰入り”の気持ちで、頭には白ハチマキ、手首には数珠を巻き、三鈷杵もリュックに入れる。

11時の法要後に参拝ができるというので、自宅をゆっくり発てる。
月見団子1個(昨晩のお月見の余り)とヨーグルトだけ食べて、昼食は持たずに家を出る(普通の登山では考えられない)。
新宿10時発の高尾ライナーに乗って、11時ちょっと前に高尾山口に着き、ケーブルの登り口で山に向かって合掌し、いつも通りの琵琶滝道の直登ルートを登る。
この道は高尾山で一番山らしい傾斜なので、高尾山内で登山気分に浸れる貴重なルート。

静かな樹林の中、今時、ミンミンゼミが鳴いている。
ミンミンゼミは盛夏の印象で、晩夏の名残ならヒグラシがふさわしいが、最近ヒグラシの声を聞かない。

中腹の尾根上にある「かすみ台展望台」に上がるとケーブルからの一般客が歩く1号路と合流し、ここからは登山姿が逆に違和感を与える。

薬王院に達し、本堂の参拝は軽くすませて早速聖天堂に向かうと、すでに法要が終わって、管長の法話も終わるという(グッド)タイミング。
法螺貝の行列の後に、管長が法要に参加した左右の人々に挨拶しながら去って行く(聖天堂の扁額には「和合歓喜天」とあるので、以後は歓喜天と記す)。

そして堂内の供物が、人々に分配される(皆、奥ゆかしくて、殺到しない)。
私も白饅頭(歓喜天への供物は、甘い丸菓子)を頂いた。

そして改めて、開帳された堂内に目を向けると、歓喜天そのものは厨子内に入ったままの秘仏状態で、その前立ちとして十一面観音が3体立っている(写真は開帳された聖天堂)。
確か、浅草の待乳山聖天でもご開帳(12/8)は前立ちの十一面観音だけ。

堂前で賽銭を入れ、焼香をして、三鈷杵を両親指に挟みながら歓喜天の印を結び、その真言を唱える(歓喜天の真言は堂前に掲示されている)。

ついでに、隣の愛染明王堂に行き、こちらは常時開帳されている真っ赤な愛染明王に向かって印を結び、真言を唱える(真言を覚えきれなかったので、アンチョコを持参)
私は結局、煩悩を消すことができないので、愛染明王におすがりするしかないと思っている。

これで主目的は達し、高尾山の山頂に向かう。
奥の院である不動堂で不動の印を結んで真言を唱え(普通の人は合掌でよい。私は”峰入り”行なので)、その奥の浅間(あさま)社の祠では、神仏習合、いや富士講的に「南無浅間大菩薩」と唱える。

高尾山頂では、三角点は人が踏めない神聖な雰囲気の所に設置してあり、大抵の人は「高尾山頂」と記された大きな標識の前で記念撮影をする(この措置でいい)。

天気は悪くないが、富士が雲で見えにくいのが残念(写真)。

下りは、いつもならあえて長い山道の稲荷山コースを選ぶのだが、今日はほぼ往路を戻り、登り口に降り立って山に振り返って合掌し、蕎麦屋に直行した。

東京の蕎麦の名所といえば、まずは深大寺だが、ここ高尾山口も「とろろそば」の名所となっている。
なので、高尾山だけの(奥高尾に足を伸ばさない)場合は、朝も食べず、昼食も持参せず(非常食は持参)、早めに降りて山麓で蕎麦を食べることにしている(精進落し)。

頂いた供物の饅頭は、まずは家の仏壇に捧げ、夕食時に母と分けて食べた。