今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

易の心理学1:易とは

2022年09月18日 | 心理学

我が勤務先の大学に「易学研究会」というクラブがある。
易学だけでなく、タロットを含めた「占い」を習得し、自校の大学祭だけでなく、他校にも出張して活動している。

私はそのクラブの2代目の顧問を担当しているのだが、このクラブを作った先代の顧問によると、このクラブは学部内の心理学教員からはすこぶる評判が悪かったという。

心理学側に立てば、科学を目指す心理学にとって、非科学的な占いは、近づきたくない相手である。
というのも、町の図書館では、図書分類の順番によって、心理学関係の本の隣に占いの本が並んでいるから。
心理学にとっては、占いと同一視されることは甚だ迷惑である。

ところが、その心理学者の一人である私は、占いには関心なかったが、岩波文庫の『易経』(上下二巻)を好んで読んでいて、易占をせずとも、易経から得るものを感じていた。
そういうこともあって、先代の顧問が退職する折、学部内で唯一「易」に肯定的な私が次の顧問を頼まれた。

実はちょうどその頃、私自身の心理学において「心の多重過程モデル」を構築していくうち、最高次の過程として、自我を超越したトランスパーソナルの領域が射程に入り、私は自分の心理学の方向として、易に接近しようとしていた(易がトランスパーソナルと繋がる話は後日)。

こういう”意味ある偶然の一致”(シンクロニシティ)こそ、運命のなせる技である。

ここでは表題通り、易を心理学的に解読したいのだが、その前に準備として、易そのものを説明しておく。

(えき)は、伝説によれば中国の古代王朝ごとに成立し、現存しているのは周の時代に整備された「周易」である(夏王朝の連山、殷王朝の帰蔵という易は伝わらず)。
それによれば周易(以後、易)は3000年前に成立したわけで、仏教や儒教よりも古い。
仏教を興したインドの釈迦は「諸行無常」を唱えたが、その500年前に、すでに易は世の中が固定ではなく変化することは前提としていて、問題はどう変化するかだ、ということで、その変化の様態をパターン化したのである(易経の英訳名は「Book of changes」(変化の書))。

周を理想とする孔子はもちろん易に親しんだという(易の注釈「十翼」を著したというのは伝説)。

易は、この世(宇宙)を構成する陰陽の2気(その起源は太極)の関係状態を見出し、その状態によって世の事象の動向を占うものである。
※:宇宙を構成する4つの力の1つである電磁気力のプラスとマイナス、 NとSは陰陽2気の現れといえる。
宇宙開闢という最初の現象(ビッグバンに相当)である陰・陽の2気(1ビット=2の1乗)の誕生(両儀)は、太極(元宇宙)が相反する性質に分化したのもので、陰陽は性質的には対立しながら、循環し和合する性向をもつ☯。
さらにその両儀が重層化、すなわちビット数を増やして複雑化し、四象(2ビット=2の2乗)を経て、八卦(3ビット=2の3乗)となって、事象の基本状態となる。
さらに八卦(か)が上下に重なった大成卦(6ビット=2の6乗)の64卦で、世の事象の変化状態を隈なく説明できるという(各卦の6爻位を含めると64×6=384状態)。
このようにデジタル・コンピュータと同じ原理によるこの世の変動理論が3000年前に成立したのである。
この易こそ中国思想の根源で、むしろここから儒教や道教が分化したともいえる。

易はその後、漢の時代に数合わせや五行思想と融合し、表面的な神秘化という通俗化(おみくじ化)が進んだが(この系譜は今でも続いている)、三国時代(魏)に王弼(おうひつ)が出て、漢易を批判し、易経を深く読んで、生き方として易を解釈する義理易を打ち立てた(この義理易は宋代の朱子に受け継がれる)。
日本でも、易を政治や生き方の指針とする人たちが輩出するのは、この義理易の系譜であり、私も当然、義理易に立つ(以後、説明は義理易に準拠)。

易の基本的態度を紹介する。
●「楽天知命」(天を楽しみ、命を知る。故に憂えず)
まず聞いたことある企業名を連想するが、実際企業名を易経から採用する所は他にもある(資生堂)。
運命を受容し、それに悩まず、与えられた状況でベストを尽くすにはどうしたらいいかを考えればよい。

●一陰一陽これを道と謂う。これを継ぐものは善なり。これを成すものは性なり。
※:道教の道(タオ)と理解してよい
陰陽の気が循環し合う道(卦)を知り、それに則ることが善であり、それを実現できる能力を人はもっている(易にとって善とは、不自然な作意ではなく、宇宙法則(道)に合致した自然なものである)。

●運は固定ではなく、変化する(同じ運は続かない)。その変化のタイミングを見極めることが大切。

●陰陽のバランスが最適。
・陰/陽の極端は良くない。
 陽に乗じて突き進むと、思わぬ落とし穴にはまる。
 陰に屈して何もしないと、運気が変わっても何もできない。
・陰陽相反するものを内包しておく(たいていの卦は陰陽どちらも含む)。
 言い換えれば、葛藤・矛盾があるのが本来的状態(存在は論理とは異なる)。
 どちらの変化にも対応できる。
・人間の内気(ないき)も陰陽のバランスが健康の素(覚醒と睡眠、運動と休息、交感神経と副交感神経、動脈と静脈)。
・そして易の思想態度においても儒教(陽)と道教(陰)のバランスを保ちたい。
 堂々と自分の意思を貫く陽徳と、自分を抑えて他者に譲る陰徳のバランス(易の徳)が必要である。