易の原理についての心理学的説明は、ユングによるものが唯一であった。
なので易についてユングの「集合的無意識」、「共時性」、「元型」などの概念を使って理解されていたのは前述した通り。
では、これで「易の心理学」を終えていいのだろうか。
心理学に期待した説明として、ユングでいいのだろうか。
なぜなら、ユング心理学って、正統(アカデミック)な心理学においては、フロイト理論以上に、怪しげで、オカルト的とすら思われているから(ユング自体が心理学より占いに近い?)。
私自身、ユングは好きだが、彼の心理学理論を信じているわけではない。
私が彼の理論を扱うとすれば、学術的視点ではなく、あくまで面白半分によるものである。
なので、易が「中(あ)たる」※説明としても、共時性・集合的無意識などの概念を使わず、スピリチュアル臭を一切排除して、科学的心理学の視点で考えてみたい。
※:易では、当たることを「中」と記す。
昨年末の「冬至の年噬」で、私は2022年を占った。
すると「天水訟」の卦が出たので、2022年は「争いが起きる」と理解した。
果たして、2022年2月、ロシアがウクライナに侵攻し、その争いは今でも続いている。
これを「中たり」としてよいか。
当人はそうしたい気持ちで、やっぱり易はすごい!と思いたくなる。
易占を含めて、占い一般が当たったかどうか、どう判断するのか。
前回の説明にあったように、占いの宣託、例えば易経の記述は、メタファーとして解釈すべきものである。
易経の記述をメタファーとして理解するには、占的としている事象から、そのメタファーが当てはまるものを探してこなくてはならない。
すなわち、易占が中っているものを、占的の中からあえて探して当てはめる、というのが「解釈」なのである。
メタファーであるため、解釈の自由度が高く、大抵当てはまるものが見つかる。
つまり、「中たる」のではなく、メタファーを都合よく解釈して1対1対応にもっていって「中てる」のだ。
なので、ロシアのウクライナ侵攻がなくても、別の身辺の争いごとを探して、「ほら中たった」と言うことは大いに可能だ。
このメタファーの効果を、心理学の中から探せば、血液型性格論が流行している理由の説明に使われている「バーナム効果」に近い。
すなわち多義的に解釈できる言明(どの血液型の人間にも当てはまる内容)をすれば、人は「中たった」と思う。
ただ血液型は4通りしかないが、易は大成卦が64通りある。
当たる確率からして易の方が断然不利だ。
なのに易がその力を失わないのは、易経が優れているためだ。
すなわち64通りのどの結果であっても、生き方の指針として間違っていないので、結果的に「中たる」ことになる。
だから、昔の私がそうであったように、易占をせずとも易経を読むだけで生き方の指針を得た(易経は儒教経典”五経”の筆頭に挙げられているが、儒者は筮竹さばきの習得まで求められてはいない)。
すなわち、卦の数が多くても、そのいずれもがそれなりに効果がある内容という点が易固有のアドバンテージといえる。
なら易占は不要か。
以前、室内での失せ物が一向に見つからず、もう自分で探す場所がわからないので、易占に頼ったことがあった。
出た卦は「雷沢帰妹」で、今までのやり方を変えろと言うメッセージ。
それを受けて、頭を切り替えて、今まで探さなかった場所を探したら、すぐに失せ物が見つかった。
占いは、自分とは独立して別個の判断をしてくれる貴重な他者なのだ(ただし六曜のように機械的な判断しかできないものは不要)。
もっとも、荀子が「よく易をおさむる者は占わず」と述べたように、易経が頭に入っていれば、今どの卦の状態かがおのずと判り、あえて占筮する必要もなくなる。
以上、共時性も集合的無意識も使わずに、バーナム効果というアカデミックな心理学概念だけを使って説明してみた。
これで易の実際が説明できたなら、「共時性」をもってくる必要はない。
完