今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

睡眠という至福

2023年05月04日 | 生活

大谷がヌートバーの食事の誘いを断った理由が、睡眠のためということが話題になっている。

大谷は生活の中で何よりも睡眠を優先している訳だが、
それは体のコンディション調整のためと解釈されている。
その記事は、何かのために睡眠をとる、という発想だが、
もしかしたら大谷は睡眠そのものが目的で、睡眠を何より楽しんでいるのかもしれない。

現代人は、小学校以来ずっと平日の朝は「もっと寝ていたい、でも起きなければ」という、心の葛藤の末に起きている。
この葛藤こそ、睡眠の快と起床の不快を素直に表現している。

睡眠中は至福の時なのだ。
欲求の階層説で有名なA.マズローは、最下層の欲求の中に「睡眠の欲求」を入れ、
睡眠は生理的快であることを認めている。
さらに積極的に睡眠の価値を主張しているのが、
このブログでも紹介したマハリシのヒンズー教の思想である。

ヒンズー教によれば、睡眠中の自我の働きが停止している時こそ、
真我(アートマン)が作動し、自我が知らぬ間に、宇宙神ブラフマンと融合している。
すなわち、睡眠中においてこそ、人格の最高状態が実現されている。

ヒンズー教徒でない我々は、睡眠中は意識の停止状態で、身体的にはどうあれ、
意識経験的には無駄な時間とみなしているが(仏教も睡眠を修行の妨げとしている)、
ヒンズー教では、睡眠中の我こそ真の我である、というのだ。

大谷は、覚醒時に経験できない自分の最高状態を味わっているといえる。

大谷ほどでないが、私自身も、目覚まし時計で起こされない生活を実現してきた。
言い換えれば、シフトなどで睡眠リズムが崩される仕事は自分には無理で、
そういう過酷な勤務を人に求める社会はなんとかならないかと思っている。

本当は休日には山に行きたいのだが、不自然に早起きすることが嫌なので、
行くにしてもそうしないで済む近場の山に限定されている。
すなわち山という趣味よりも睡眠を優先している。

修験道の修行に憧れがあり、強歩や断食の行ならやってみたいとも思うが、
千日回峰行にあるような”不眠の行”だけは全くやりたくない(何も鍛えられないから)。

睡眠に幸せを感じているなら、入眠過程自体が幸せへの行程であり、
自然な目覚めで起きる時は充実感・満足感を伴う。
幸せの基準を睡眠におけば、これだけで幸せになれる。

こういう幸福な睡眠は、連休の今だからこそ、実体験できる。
そう、連休中は、あくせくして出かけなくても、きちんと眠るだけでもいいのだ。