「死んで生まれ変わろう」という目的で死ぬと、望み通り生まれ変われるだろうか。
その可能性はほとんど無いといえるだろう。
少なくとも、生まれ変わりたいと思っている当の「自我」は、脳死とともに消滅するので、”自分”は生まれ変われない。
個人を構成する自我ではなく、その背後の”霊体”は生まれ変わりが可能だとしても、六道輪廻思想によると、人間に生まれ変われる保証はない。
生前の行ないによって転生先が決まるので、人間として恥じる行為をしたなら、転生先は餓鬼や畜生、あるいは地獄となる(良くて修羅)。
冒頭の発言を私の母は、死ぬのではなく「死ぬ気になって生まれ変ろう」と決心すべきと批判した。
まさにその通り、人間としての”生”の中で、生まれ変わることが可能なのだ。
生前に積んでしまった業(カルマ)は、その生の中においてこそ、最も手早く清算することができる(人は「悔い改める」ことが可能)。
人間界に生まれた者に与えられた”生きる目的”は、霊的に成長することにある※。
※:六道的には、天部に転生すること。いいかえれば、死後にカミ・ホトケにグレードアップすること。
それは人間として、真っ当に正しく生きれば叶う目的だ(特定の宗教宗派の信仰者に限定されない)。
学校教育的に言えば、”人間としての課程”を修了することだ。
なので人間としての努力を放棄する目的の死は、残念ながら霊的にグレードダウンこそすれ、決して高まることはない。