正月三ヶ日は近所の氏神詣以外は家に籠り、4日に外出始めをする。
今年は巳年にちなんで弁天様を詣ようと、ネット検索したら、台東区三ノ輪付近に2か所あるのでそれらをハシゴすることにした。
一つ目は、荒川区南千住にある中島弁財天。
ここは商店街の脇にあり、最近まで銭湯の女湯の中庭に祀ってあったものだという。
さらに元を辿ると伊勢亀山藩主の屋敷内の弁天池の中の島に祀ってあったといい、それが名前の由来だ。
寺の境内にある石仏と違ってお顔がきちんとした作りになっており、美仏リストに加えてもいい(上写真)。
ここは商店街の脇にあり、最近まで銭湯の女湯の中庭に祀ってあったものだという。
さらに元を辿ると伊勢亀山藩主の屋敷内の弁天池の中の島に祀ってあったといい、それが名前の由来だ。
寺の境内にある石仏と違ってお顔がきちんとした作りになっており、美仏リストに加えてもいい(上写真)。
二つ目は、三ノ輪を越えた先、旧吉原(台東区千束)にある吉原弁財天。
ここは江戸時代以来の遊郭吉原が関東大震災で火災に遭い、遊女たちが熱さで逃げ込み溺死した弁天池があった所。
手前の吉原神社は稲荷などを合祀しているが、その先の弁財天本宮には、震災死者の慰霊の観音像が立ち、
ここは江戸時代以来の遊郭吉原が関東大震災で火災に遭い、遊女たちが熱さで逃げ込み溺死した弁天池があった所。
手前の吉原神社は稲荷などを合祀しているが、その先の弁財天本宮には、震災死者の慰霊の観音像が立ち、
奥には弁天の壁画(下写真)のある弁天堂と水が落ちている赤富の滝がある(ここは大正時代のものだが完全に神仏習合)。
他の弁天堂と違ってここは悲しい死の思いに満ちている。
他の弁天堂と違ってここは悲しい死の思いに満ちている。
実はここに来る手前に寿永寺という寺があり、立ち寄ったらそこは下谷七福神の1つで、布袋が祀ってあった。
そこでもらった下谷七福神巡りの地図を見ると、私が向かうルートに恵比寿を祀る「飛不動尊」があり、残りも付近に点在して、一筆書きルートでまわれる。
なので、弁天巡りを終えたので、次は下谷七福神巡りに切り替える。
となるともう1つ弁天が増える。
そこでもらった下谷七福神巡りの地図を見ると、私が向かうルートに恵比寿を祀る「飛不動尊」があり、残りも付近に点在して、一筆書きルートでまわれる。
なので、弁天巡りを終えたので、次は下谷七福神巡りに切り替える。
となるともう1つ弁天が増える。
酉の市で有名な鷲神社(ここは参拝者が行列)を越えて台東区竜泉に入ると、公園内に弁天院というお堂がある。
ここが今日三つ目の弁天様。
一応寺だが地元の人たちが管理しているようで、堂内に上がって弁天様を拝み、ここの由来記と七福神巡り用の弁天像(400円)を購入。
ここが今日三つ目の弁天様。
一応寺だが地元の人たちが管理しているようで、堂内に上がって弁天様を拝み、ここの由来記と七福神巡り用の弁天像(400円)を購入。
由来記を読むと、ここにも弁天池があり、底知れない深さのため池にはまった死者がいたという。
そして関東大震災での焼土を埋めるために埋め立てられ、その跡地にこの弁天院が建てられた。
そして関東大震災での焼土を埋めるために埋め立てられ、その跡地にこの弁天院が建てられた。
かようにそれぞれ由来は異なるものの、いずれも池を祀るための弁天様という点で共通している。
この後、残りの七福神を巡って(法昌寺=毘沙門天、英信寺=大黒天、入谷鬼子母神=福禄寿、元三島神社=寿老神)、
鶯谷から帰宅し、購入した弁天像は巳年(年女)の母に渡した。
自分用には英信寺の三面(左右に弁天と毘沙門)大黒天の御影を買った。
鶯谷から帰宅し、購入した弁天像は巳年(年女)の母に渡した。
自分用には英信寺の三面(左右に弁天と毘沙門)大黒天の御影を買った。