今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

弁天巡りと下谷七福神

2025年01月04日 | 東京周辺
正月三ヶ日は近所の氏神詣以外は家に籠り、4日に外出始めをする。
今年は巳年にちなんで弁天様を詣ようと、ネット検索したら、台東区三ノ輪付近に2か所あるのでそれらをハシゴすることにした。
 
一つ目は、荒川区南千住にある中島弁財天
ここは商店街の脇にあり、最近まで銭湯の女湯の中庭に祀ってあったものだという。
さらに元を辿ると伊勢亀山藩主の屋敷内の弁天池の中の島に祀ってあったといい、それが名前の由来だ。
寺の境内にある石仏と違ってお顔がきちんとした作りになっており、美仏リストに加えてもいい(上写真)。
 
二つ目は、三ノ輪を越えた先、旧吉原(台東区千束)にある吉原弁財天
ここは江戸時代以来の遊郭吉原が関東大震災で火災に遭い、遊女たちが熱さで逃げ込み溺死した弁天池があった所。
手前の吉原神社は稲荷などを合祀しているが、その先の弁財天本宮には、震災死者の慰霊の観音像が立ち、
奥には弁天の壁画(下写真)のある弁天堂と水が落ちている赤富の滝がある(ここは大正時代のものだが完全に神仏習合)。
他の弁天堂と違ってここは悲しい死の思いに満ちている。
 
実はここに来る手前に寿永寺という寺があり、立ち寄ったらそこは下谷七福神の1つで、布袋が祀ってあった。
そこでもらった下谷七福神巡りの地図を見ると、私が向かうルートに恵比寿を祀る「飛不動尊」があり、残りも付近に点在して、一筆書きルートでまわれる。
なので、弁天巡りを終えたので、次は下谷七福神巡りに切り替える。
となるともう1つ弁天が増える。
 
酉の市で有名な鷲神社(ここは参拝者が行列)を越えて台東区竜泉に入ると、公園内に弁天院というお堂がある。
ここが今日三つ目の弁天様。
一応寺だが地元の人たちが管理しているようで、堂内に上がって弁天様を拝み、ここの由来記と七福神巡り用の弁天像(400円)を購入。
由来記を読むと、ここにも弁天池があり、底知れない深さのため池にはまった死者がいたという。
そして関東大震災での焼土を埋めるために埋め立てられ、その跡地にこの弁天院が建てられた。
 
かようにそれぞれ由来は異なるものの、いずれも池を祀るための弁天様という点で共通している。
この後、残りの七福神を巡って(法昌寺=毘沙門天、英信寺=大黒天、入谷鬼子母神=福禄寿、元三島神社=寿老神)、
鶯谷から帰宅し、購入した弁天像は巳年(年女)の母に渡した。
自分用には英信寺の三面(左右に弁天と毘沙門)大黒天の御影を買った。

バス旅が”3人”であることの意味

2025年01月04日 | 心理学
年末に撮り溜めした「バス旅」(テレビ東京)を観て、改めて思うことがあった。
まず、長距離を歩いて大変な思いをするのはメンバーの3人だけでなく、それに随行するカメラ・マイクを持ったスタッフたち。
重い機材を持っての長距離歩行なのだ(彼ら用の車も随行しているはずだが、一緒に歩いてメンバーの会話の撮影が必要)。
そして「バス旅」のメンバーは(対抗する鉄道旅も)、なぜ3人なのか。
そもそも日本では旅には「弥次喜多」という2人パターンが伝統的に存在していた。
ところがそれを踏襲せず、1名増えた状態を構築し、それがうまくいっている。
なぜなのか。

実は、2人事態と3人事態とでは、量的だけでなく質的にも異なる対人場面であることが私を含めた一部の研究者が指摘している。
それは”集団”の最小単位すなわち集団の定義に関わる問題でもあるのだが、ここではその問題には立ち入らいものの、できるだけ理論的に説明したい。
※:既存の心理学では、集団は「2人以上」と定義されているが、私も含めた一部の研究者は「3人以上」を主張している。2人事態は”対人関係”に等しいため。
 
社会学者のジンメルは、3人事態では、内部的連合形成が可能となり、その結果、メンバー間に”中心者”や”孤立者”あるいは”仲介者”という構造的差異が発生しうる点を2人事態との質的相違としている。
心理学者の松村康平は、3人事態で初めて、自分Aが直接関われない関係(BC)が発生し、その関係に対する間接的関係として「間関係」(A→(BC))の発生を質的相違としている(人数が増えると間関係の数が飛躍的に増え,それが集団固有の現象となる)。
私は主に松村の「間関係」を使って集団を3者関係モデルとして構築した※。
※:卒論で構築し、『人のこころ 人のからだ』(市川・氏原・成田編 ミネルヴァ書房)内で紹介している。

この問題を「バス旅」に当てはめてみよう。
2者関係だと、2人の仲(例えば太川氏と蛭子氏)が悪化すると、旅を維持するのが困難になる。
3者関係では、まず両者ともう1人(ゲスト)との関係が残っているので3者レベルではまだ破綻していない。
それにその人が仲介者となり、2人の仲が第三者によって調整可能となる。
言い換えると、直接関わる2人の相手以外に、その2人の関係に対しての働きかけが発生しうる。

2者関係ではABの直接関係1つだが、3者関係ではAB,BC,ACの直接関係が3つ、それに新たな間関係が3つとなる。
このように3人事態では質的も量的にも新たなシステムとなることで、関係状態が単純ではなく、多様性をもつ。
例えば、1人がリーダー(上位者)となる場合、2人事態では状態が固定されるが、3人事態だとフォロアーが2人いるため、人数的にはフォロアーが多数派となりうる(対抗可能)。
3つの対関係(AB,AC,BC)にそれぞれ第3の力が作用し、ハイレベルのバランス(調整)機能が作用する。
すなわち、2人事態は”対人関係”レベルだが、3人事態は個人を超えた”社会”の原初状態に相当する。
それが3人旅の妙味を形成する。
さらにその3人の役割、特性を考慮して配置するのがあの番組の構成だ。