今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

外国人留学生の孤独:※追記

2025年01月11日 | 時事

(※…):追記

法政大学で韓国籍の女性学生がハンマーで学生たちを襲った事件。
動機は、”仲間はずれ”に遭ったためらしい(※本人の弁。被害妄想の可能性もある)。
一番の問題はこの学生のメンタルにあるだろうが(※日常の言動からこの可能性がひじょうに高い)、この学生の立場が気になった。

この犯人が留学生かどうかは不明だが(※留学生と判明)、今年度の私の卒論生に韓国の留学生がいて(日本語は普通に使える)、選んだテーマが「外国人留学生の孤独」だった。

その学生自身、当学科唯(たった)一人の留学生ということもあり、一人で行動することが多く、孤独を強く感じていたようだ。
もちろん大学として制度的な受け入れ態勢はとっている。
具体的には、学生生活を支援するボランティア学生が複数名つき、日本文化を体験する目的で毎年皆で1泊旅行をする(大学からの予算・教員付添)。
ということは最低限そのボランティアの学生たちとは仲良くなれ、実際私の卒論ゼミにはそのボランティアの学生(複数)も一緒だった。

ただ、毎週のゼミでは、その学生たちと当の留学生は隣には座らず、留学生は一人離れた席を取っていた。
すなわち、日常での友人関係には至っていない感じだ。

その留学生は、卒論(もちろん日本語)として、ネットを通して周辺大学の留学生たちに質問紙(アンケート)調査をした(数カ国語対応)。
その結果、一般的に留学生と日本人学生との交流は低調で、どうしても同国の留学生同士の関係に限定されがちな傾向があった。
同じ大学での同国人の数は多くないのでの、その関係自体が小規模で固定される。
なので留学生たちは、大学の枠を超えた留学生同士の交流の機会を望んでいた(これは大学の現行の態勢を超える)。

一番の要因は、日本人側の閉じた関係だ。
日本の学生側に立って言うと、日本人同士の友人関係だけで精いっぱいで、外国人に特別な関心がない限り、あえて積極的につきあおうとはしない。
私自身、学生の時、留学生歓迎パーティに参加したが、動機は英語で会話してみたい、というだけで、それができたので満足して、その後、留学生と交流しようとはしなかった。
実際、その当時も留学生の間からは、日本人学生との交流の少なさに不満があがっていた。

さらに細かい要因を挙げると、まずかわいそうだったのは、在学時期がコロナ禍と重なってしまい、日本人学生ですら、友人関係の確立に苦労した世代だった。

それから性別の問題もあるかもしれない。
少なくとも日本の女性学生は、閉じた関係に籠りやすい。
女子中高生の”グループ”ほどでないにしろ、大学生の友人関係も、閉じた関係が確立すると、それが維持されやすいようだ。
その結果、友人関係が確立した後の卒論ゼミでは、新しい関係が築かれにくい(共同研究可能だとそうでなくなる)。
ただし、中高年になると女性は開放的になり、男性の方が閉鎖的になる。

ちなみに、自分の学生時代の男子留学生は、顔見知りになった日本の女子学生に対して会うたびに「きれいだ」とほめちぎるという(その女子学生から聞いた。日本男子学生にはマネできない)。
このように留学生側にも積極性があるといい。

結局、留学生の私的な対人関係には大学側はノータッチだということ(日本人学生に対しても同様だが)。
韓国に関心のある日本人学生は少なくないので、その気運を利用した交流会などを開催できたらよかったかもしれない。