夏至の水辺旅の二日目。
休暇村を10時にチェックアウトして、まずは渥美半島の突端である伊良湖岬の”恋路が浜”海岸に行く。
半島の突端は、海に囲まれた陸という独特の風景。
太平洋に面して、椰子の実が流れ着いたというその浜からは、伊良湖水道を行き来する大型貨物船が途切れる事がない。
日本の工業貿易の中心地・名古屋港に向かう船だ。
伊良湖水道の奥には、三重県の神島が聳え(写真)、その奥には古代日本の中心部であった紀伊半島がある。
目の前に島があれば人は渡りたくなる。
そうやって古代日本人は紀伊半島と渥美半島を往来した。
そもそも旧石器時代に当時陸続きであった大陸から日本に人がやってきた。
当時の人口密度からいえば、その地を離れて渡来する必要はなかったはず。
人は仕方なしに移動するのではなく、あえて移動したがるのだ。
川の向こう、山の向こう、海の向こうに行こうとするのは、人どころか移動を旨とする動物の本質的志向性とさえいえる。
なるほど、私が何かと理由をつけてこうして旅をするのもむべなるかな。
ここから太平洋側の海岸沿いに渥美半島の付け根まで進む。
途中、港がある赤羽根の道の駅で、地元産の大型にんにくや青さ粉を買う。
道は内陸に入り、愛知を出て静岡に入ると、白須賀宿という旧東海道の宿場を抜け、本日メインの立ち寄り地・豊田佐吉記念館に着く。
ここは今を時めく世界のトヨタの元である豊田自動織機の発明者・豊田佐吉の生家などがある。
そう、トヨタ発祥の地は、愛知県豊田市ではなく、県境を越えた静岡県湖西市なのだ。
まずは佐吉が発明した自動織機の数々が並ぶ。
佐吉の業績はビデオで説明される。
来館者の芳名録を見ると、トヨタのあちこちの関連会社から団体で来ているのがわかる。
トヨタ全社が創業の精神・原点、そして誇りを忘れない姿勢を示している。
敷地の最奥の山に進み、佐吉も立ったという生家奥の展望台に立って浜名湖を望む。
生家には、発明した織機を触る母と佐吉の木像が当時の一場面を再現している(写真)。
ここから浜名湖の西側を北上し、浜名湖に突き出た半島部にある宇津山城址に向かう。
こういう(駅から離れた)立ち寄り先は、電車旅では行けない。
城跡直下の正太寺(曹洞宗)の駐車場に車を止め、境内の百観音の石仏を拝み、案内板通りに山上の城跡への散策路を進む。
その道は、弘法大師像などが番号に沿って並んで、四国八十八箇所霊場巡りにもなっている。
頂上には大きな大師像と、城跡の説明板がある。
この平らな頂上も城の曲輪の一部だとわかる。
ここから振り返ると、目下の浜名湖が海のように広い(写真)。
さらに踏み跡を進むと、石垣がでてきた。
この城跡は、今川→徳川と持ち主が代わり、武田勝頼の勢力の増減に合せて価値も変わった。
往路を下り、寺に戻ると、丁度本堂を掃除していた住職がいたので、挨拶がてら、曹洞宗なのに弘法大師を祀っている理由を尋ねた。
住職が言うには、八十八箇所の霊場としたのは先代の住職で、弘法大師は宗派を越えて崇敬されているので問題ないという。
確かに、私自身も旦那寺の宗派にこだわらず弘法大師を崇敬している。
ここから湖畔の道路を走って、浜名湖北辺にある本日の宿・グリーンプラザに着く。