「霊が見える」という現象についての私の2本目の論文「霊視認現象についての態度調査と視認事例の追加」が公開された。
この論文は、霊が見える人の出現率を調べることと、その経験(者)に対する当事者とそうでない人の態度を調査するのが第一目的で、その現象の追加例の採取が第二の目的である。
また、この現象を説明する心理学的見解を批判的に検討した。
ここではその概略を示す。
ここではその概略を示す。
まず、視覚経験として霊が見えるという現象を、今回から「霊視認」と表現し直した。
前回の論文(山根,2024)では、「霊視覚」と称していたが、この経験は感覚レベルではなく認知レベルの現象であり、また霊を「視認する」という動詞形における適合性から、「霊視認」と改称した。
調査は186名(全員女性)の回答を得た。
うち「霊を見たことがある」という回答者は17名、すなわち約9%に達した。
ただし、その回答者たちに、面接をして詳しく話を聞きたいために任意で記名をもとめたのだが、記名したのは6名で、さらに面談を実現してイラストを含めた視認情報を得られた、すなわち「霊視認者」※と認定できたのは2名(1%)だった。
※:明らかな幻視の可能性、すなわち統合失調症、薬物依存、視神経・中枢神経系の障害がないことを前提とする。調査の回答だけではこの確認ができないので、それだけで霊視認とは認定しない。
うち「霊を見たことがある」という回答者は17名、すなわち約9%に達した。
ただし、その回答者たちに、面接をして詳しく話を聞きたいために任意で記名をもとめたのだが、記名したのは6名で、さらに面談を実現してイラストを含めた視認情報を得られた、すなわち「霊視認者」※と認定できたのは2名(1%)だった。
※:明らかな幻視の可能性、すなわち統合失調症、薬物依存、視神経・中枢神経系の障害がないことを前提とする。調査の回答だけではこの確認ができないので、それだけで霊視認とは認定しない。
また17名のうち視認経験についてのさらなる質問に回答したのは15名で、うち8名は1回だけで、数回も6名であり、頻繁に視認できると回答した者は1名しかいなかった(ただし上の認定者ではない)。
つまり霊視認のほとんどは1回程度の経験である。
そして視認者自身、その時の経験に対して錯覚や幻覚の可能性を否定していない。
また霊視認経験自体を快適に思っておらず、誇らしくも思っていない。
つまり霊視認のほとんどは1回程度の経験である。
そして視認者自身、その時の経験に対して錯覚や幻覚の可能性を否定していない。
また霊視認経験自体を快適に思っておらず、誇らしくも思っていない。
残り大多数の非視認者にとっても、見えるようになりたいとは思わない傾向が示された。
すなわち、霊視認に対する態度は視認者も非視認者もほぼ同じだった。
すなわち、霊視認に対する態度は視認者も非視認者もほぼ同じだった。
2名の視認事例は、いずれも10年以上前の経験で、内容は見える霊との間に交渉がなく、声・音を伴わない、いわゆるシャルル・ボネ症候群(視野欠損症の一種)での幻視と同じパターンであることから、前稿の事例を含めてこれを霊視認の定型として「シャルル・ボネ型(霊)視認」と命名した。
霊視認についての心理学的説明の可能性を探るため、この現象を言及している過去の心理学者としてW.JamesとC.G.Jungについて調べた。
Jamesは英国心霊協会の会長まで務めるほど心霊科学に関わっていた(ただし霊の存在については懐疑的)。
Jungは英国滞在先で霊を見ている(怖気づいて翌日退去してしまった。心理学者ならそこは知的好奇心が勝ってほしかった)。
ただ両者とも霊視認を意識下・無意識の現象とみなし、意識レベルの視覚現象とは認めない点で、筆者にとっては参考にならなかった。
「無意識」という便利で実証不可能な概念装置に頼らないのが、心理学における筆者のアプローチだからである。
そして生半可な段階で解釈・説明に走る前に、当面は事例を積み重ねることを優先する。
Jamesは英国心霊協会の会長まで務めるほど心霊科学に関わっていた(ただし霊の存在については懐疑的)。
Jungは英国滞在先で霊を見ている(怖気づいて翌日退去してしまった。心理学者ならそこは知的好奇心が勝ってほしかった)。
ただ両者とも霊視認を意識下・無意識の現象とみなし、意識レベルの視覚現象とは認めない点で、筆者にとっては参考にならなかった。
「無意識」という便利で実証不可能な概念装置に頼らないのが、心理学における筆者のアプローチだからである。
そして生半可な段階で解釈・説明に走る前に、当面は事例を積み重ねることを優先する。
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