爽やかな5月になりました~
普段は内部非公開の戦災遺跡が27、28日の2日間一般公開されるのを新聞で知り、28日におっとと行ってきました。
東大和市の都立東大和南公園内に残っている、旧日立航空機(株)変電所 です。
昭和13年(1938年)、北多摩郡大和村(現在の東大和市)に戦闘機のエンジンを製造する大きな軍需工場が建設されました。
(上記写真の左下に写っているのがそのエンジンです)
工場の敷地北西部に存在した変電所は、高圧伝線で送られてきた66、000ボルトの電気を減圧して工場内へ送る施設でした。
昭和20年(1945年)、多摩地域一帯の他の軍事工場と同様に、この工場でも計3回の攻撃を受け、
工場の従業員、動員された学生、住民など110名の方が亡くなりました。
ほとんどの建物が破戒された中、この変電所は奇跡的に残りました。
窓や扉などは爆風で吹き飛び、壁面には機銃掃射や爆弾の破片による無数の穴が出来ました。
内部から見える、貫通した穴
2階は老朽化の為、公開されていませんでした。
高い給水塔の一部が残されています。
昭和20年8月、終戦後は、工場はスレートや編み機の製造など、平和産業に転換して生き残りを図りました。
以後、自動車会社との合併や社名変更などを重ねて、平成5年(1993年)まで操業。
その間、この変電所は外壁の傷跡・内部も痕跡を残した状態で、主要設備機器の更新をしながら工場へ電気を送り続けました。
それ以後は都立公園の整備のため、東京都が買い上げて、変電所の役目を終えましたが、
地域住民や元従業員の方々の強い要望により、そのままの場所で保存されることになりました。
この変電所を通して戦争の怖さ、悲惨さ、多くの尊い命が犠牲になった事、そして平和の尊さを後世に伝える為、
平成7年(1995年)東大和市は文化財に指定しました。
無数の弾痕が残る建物のすぐ傍で、GWのイベントが開催されていました。
建物を見学した後だったので、少し違和感あり。
この穏やかな日があるのは、犠牲になった多くの命の上に成り立っているという事実を忘れてはいけないと感じました。
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