ももしきや 古き軒端の しのぶにも なほあまりある 昔なりけり
歌意: 宮中の古びた軒端の忍ぶ草を見るにつけても、
しのんでもしのびつくせないほど慕わしいものは、昔のよき御代なのだった。
作者: 順徳院(じゅんとくいん)
1197~1242 後鳥羽天皇の第三皇子。承久の乱で佐渡に配流され、在島21年で崩御。
宮中の古い建物に生えている忍ぶ草によって象徴されているのは、何よりも皇室の権威の衰えである。
(「忍ぶ草」はシダ類の一種。)
過去の時代の繁栄ぶりと、今現在の衰退ぶりとでは、あまりにも隔たりすぎて、
想像さえもおぼつかないというのである。
この歌からは、皇室が栄えていた古き良き時代への懐旧の情とともに、
前の歌(99番)と同様に、天皇としての沈痛な思いも読み取ることが出来る。
順徳天皇二十歳の折の詠作であるが、この5年後、承久の乱で鎌倉方に破れ、佐渡に敗流されることとなった。
※参考 文英堂 「原色小倉百人一首」
2005年2月から2013年5月まで稽古してきた百人一首。
2007年8月から月に1~2首、最近では月末にブログに載せてきました。
長い道のりでしたが、やっと100首載せることが出来ました~
皆様の応援に感謝いたします。
ありがとうございました
仮名文字は好きなので、また違う題材で始めたいなと思っています。
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人も惜し 人も恨めし あぢきなく 世を思ふゆゑに もの思ふ身は
歌意: 人がいとおしくも、また人が恨めしくも思われる。
おもしろくないものと この世を思うところから、あれこれと もの思いをするこの私には。
作者: 後鳥羽院(ごとばいん)
1180~1239 高倉天皇の第四皇子。承久の乱で隠岐に配流され、在島19年で崩御。
建暦2(1212)年12月の二十首御会で詠まれた歌で、「述懐」の題で詠まれた五首の中の一首。
後鳥羽院33歳の詠作である。
初めの二句で「惜し」「恨めし」という相反する二つの感情が対比的に用いられている。
「人」への強い執着が読み取れる表現である。
この歌は承久の乱のほぼ9年前の作であるが、
あるいは鎌倉幕府との関係をすでに憂慮していたのかもしれない。
特に、「あぢきなく」という表現から、その苦悩の深さを読み取ることもできよう。
政を掌握しなければならぬ位置にありながらも、思うに任せない帝王の心のゆらぎをも感じられる一首である。
※参考 文英堂 「原色小倉百人一首」
桜の花の季節もあっという間に過ぎて、季節は新緑が眩しい初夏になってきました。
GW前半が終わって4月もおしまい・・・
明日はやっと、のびのびになっていたオーディオシアタールームの工事です。
楽しみ~
百人一首も残すはあと1首となりました・・・
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風そよぐ ならの小川の 夕暮れは みそぎぞ夏の しるしなりける
歌意: 風がそよそよと楢の葉に吹いている。このならの小川の夕暮れは秋の訪れを感じさせるが、
六月祓(みなづきばらえ)の、みそぎだけが、夏であることのしるしなのだった。
作者: 従二位家隆(じゅにい いえたか)
1158~1237 藤原家隆。権中納言藤原光隆の子。『新古今集』の選者の一人。
『新勅撰集』の詞書に、「寛喜元年女御入内屏風に」とある。
関白藤原道家の娘竴子が、後堀河天皇のもとに入内した時の、年中行事の屏風歌として詠まれた一首。
この歌は「みそぎするなら小川の川風に祈りぞわたる下に絶えじと」(『古今六帖』118)と
「夏山のならの葉そよぐ夕暮れはことしも秋の心地こそすれ」(『後拾遺集』夏231)をふまえた、
本歌取の歌である。
季節の移り変わりの微妙さをとらえた清涼感あふれる一首である。
※参考 文英堂 「原色小倉百人一首」
早いもので3月ももうおしまい・・・
季節は春真っ盛りになりました。桜ももう見ごろになっているところもあるようですね~
多摩地域は今週が見ごろでしょうか。
百人一首もあと2首となりました・・・
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来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに 焼くや藻塩の 身もこがれつつ
歌意: いくら待っても来ない人を待ち続け、松帆の浦の夕なぎの頃に焼く藻塩のように、
私の身もずっと恋いこがれていることだ。
作者: 権中納言定家(ごんちゅうなごんさだいえ)
1162~1241 藤原定家。 83番・藤原俊成の子。
『新古今和歌集』『新勅撰集』の選者。
『新勅撰集』の詞書などから、歌合の題詠であることがわかる。
男である作者・定家が、訪ねて来ない恋人を、身も焦がれる思いで待ち続ける女の立場で詠んだ歌である。
この歌は『万葉集』の
「名寸隅(なきすみ)の 舟瀬ゆ(船着場から)見ゆる 淡路島
松帆の浦に 朝なぎに 玉藻刈りつつ 夕なぎに 藻塩焼きつつ 海人娘人
ありとは聞けど 見に行かむ よしのなければ・・・・・・・(巻六・940)」
を本歌とする、本歌取りの歌である。
松帆の浦の夕なぎ時、藻塩を焼く煙の立ち上る静かな光景である。
その光景が、いつまでたっても姿を見せない恋人を待つ心のやるせなさ、いらだたしさを象徴している。
まつほの浦 →「まつ」は「(来ぬ人を)待つ」と、「松帆の浦(淡路島の最北端)」の掛詞。
※参考 文英堂 「原色小倉百人一首」
百人一首も残り3首となりました。長かった・・・
書いてから、ちょうど1年遅れでブログに投稿しています。
後少し、おつきあいください
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花さそふ 嵐の庭の 雪ならで ふりゆくものは わが身なりけり
歌意: 花を誘って散らす嵐の吹く庭は、雪のように花が降りくるが、実は雪ではなく、
真に古りゆくものは、この我が身なのだった。
作者: 入道前太政大臣(にゅうどう さきの だいじょうだいじん)
1171~1244 藤原公経(きんつね)。
承久の乱の時、鎌倉方に内通し、その後は栄進が著しかった。
97番・定家の義弟
『新勅撰集』の詞書には、「落花を詠みはべりける」とある。
風に散りゆく桜の花を目の前にして、自らの老いを実感し、それを嘆く心を詠んでいる。
上の句では、雪と見まがうまでに散る、眼前の落花の風景が描かれる。
下の句で、ふりゆく(古りゆく)を境に、きらびやかな情景から自分自身のわびしい老いの
感慨へと転じている。
作者は、承久の乱の後、太政大臣までのぼりつめ、比類無い権勢をふるった人物である。
そうした栄華を極めた人物であるからこそ、容赦なく忍び寄る老いへの嘆きが、
人一倍大きいのであろう。
※参考 文英堂 「原色小倉百人一首」
2014年もあっという間に1ヶ月過ぎました・・・
月日の経つのは早いです。この言葉をもう何回書いたでしょうか・・・
私もだんだんと「老い」を感じる年代になってきました。
でも・・・生老病死は避けては通れないこと。
老いを嘆くのではなく、前向きにプラス思考で、短いと感じる一日一日を精一杯生きていきたいです。
今日はプール。
寒い日は少し膝が痛みますが、水中で体の奥の筋肉をゆっくり動かしてきます。
天気が良いので自転車で行ってきます
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おほけなく うき世の民に おほふかな わがたつ杣に 墨染の袖
歌意: 身のほどもわきまえず、私は辛いこの世を生きる人々におおいかけることだ。
この比叡の山に住み始めたばかりの私のこの墨染めの袖を。
作者: 前大僧正慈円(さきの だいそうじょう じえん)
1155~1225 関白藤原忠通の子。11歳で出家。
四度天台座主となる。
『千載集』の詞書によれば、「題知らず」とある。
仏法の力によって天下万民を救おうとする大きな抱負や決意が詠まれているが、
「おほけなく」という初句の表現からは、まだ青年僧であった作者の謙虚な姿勢もうかがえる。
「おほけなし」とは、身分不相応だ、恐れ多い、の意。
ここでは、身のほどもわきまえずに、と謙遜した表現。
※参考 文英堂 「原色小倉百人一首」
百人一首、九十五番は、ちょうど去年の12月に稽古したものです。
あと5首で終わります。最後までお楽しみいただけたら幸いです。
あっという間に大晦日になりました~
今年も私の拙いブログをご覧頂き、応援していただいて有難うございました
何度も書いていますが、今年は3月に母が大腿骨骨折・手術。私はほぼ毎日病院へ通いました。
そんな時期におっとが退職扱い。出勤時間が1時間遅くなり、引き続き職場へ。
それを機に家の建て替え計画が進み、8月末から引っ越し準備。
娘家族もタイミング良く近くに家を購入。時期が同じだったので娘達は入居の時期を遅らせてくれて、
その家に私達が仮住まいさせてもらうことになったのでした。
12月19日、外構は来年に持ち越されますが、家が完成したので引っ越しし、
翌日、娘達が引っ越しと、かなりハードスケジュールでした。
2013年は思い出深い年になりました。
来年は少し落ち着いて穏やかに暮らせたらいいな~と思っています。
来年もどうぞよろしくお願いいたします
皆様、どうぞ良いお年をお迎え下さいませ
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み吉野の 山の秋風 さ夜ふけて ふるさと寒く 衣うつなり
歌意: 吉野の山の秋風が夜ふけて吹きわたり、古京である吉野の里は寒く、
寒々と衣を打つ音が聞こえてくる。
作者: 参議雅経(さんぎ まさつね)
1170~1221 藤原雅経。 『新古今集』の選者の一人。
和歌・鞠の家である飛鳥井家の祖。
『新古今集』の詞書によれば、「擣衣(衣のつやを出すために衣を打つ砧の響き)」の題を詠んだ、
題詠の歌である。
擣衣は元々漢詩の世界からとりこまれた情趣であった。
静まりかえった古京吉野の地に、山の秋風が吹きわたってくる。
その中に砧を打つ、微かな継続音が聞こえて、秋夜の寒々とした寂寥感をつのらせている。
※参考 文英堂 「原色小倉百人一首」
あっと言う間に11月もおしまい・・・明日からは師走。今年もあと1ヶ月となりました。
信じられないくらい月日は早く過ぎていきます。
最近は書の記事が少なくて、風景写真が多くなっています。
久し振りにコラボ画像。
昨日の、夕方5時過ぎの富士山
堤防沿いを平山橋まで移動
電線は架かりませんが・・・赤い色がだいぶ薄くなってきました。
寒いけれど、夕焼けは綺麗でした。
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世の中は 常にもがもな 渚こぐ あまの小舟の 綱手かなしも
歌意: この世の中は、永遠に変わらないでほしいものだなあ。
この渚を漕いでゆく漁師の、小舟に引き綱をつけて引くさまに、身にしみて心動かされることだ。
作者: 鎌倉右大臣(かまくらの うだいじん)
1192~1219 源 実朝。 源頼朝の次男で、鎌倉幕府の三代将軍。
甥の公卿に鶴岡八幡宮で暗殺される。家集に『金槐和歌集』。
上二句では、世の中は永遠であってほしい、不変であってほしいと素直に詠嘆されている。
思いの根底には、この世を無常と思う気持ちがある。
これは『万葉集』の「川の上のゆつ岩群に草生さず常にもがもな常処女にて」を念頭に置いた表現。
下三句の海浜の光景は、
『古今集』の「陸奥はいづくはあれど塩釜の浦こぐ舟の綱手かなしも」によっている。
作者はこうした光景を鎌倉あたりで目にしたのであろう。
漁師の日常の営みを見つめて、それに心をゆり動かされた実感が歌われている。
二首を本歌として詠まれたこの歌は、人の世の無常に対する感傷の漂う奥深い風景を詠んだ一首である。
※参考 文英堂 「原色小倉百人一首」
月末恒例で、一首づつアップしてきましたが、8月9月はスキャニングが間に合わず載せませんでした。
今月から再開します。残すところあと7首。
最後までお付き合いの程、どうぞよろしくお願いいたします。
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わが袖は 潮干に見えぬ 沖の石の 人こそ知らね かわく間もなし
歌意: 私の袖は、引き潮の時にも海中に隠れて見えない沖の石のように、
人は知らないだろうが、涙に濡れて乾く間もない。
作者: 二条院讃岐(にじょういんさぬき)
1141?~1217? 源三位頼政(げんざんみ よりまさ)の娘。
初め二条天皇に、後に後鳥羽天皇の中宮、宜秋門院任子に仕える。
この歌は、「石に寄する恋」という、題詠の歌である。
恋ゆえの悲しみの涙で、袖が乾く間もない事を詠んでいるが、
和泉式部(五十六番)の「わが袖は水の下なる石なれや 人にしられでかわく間もなし」
(『和泉式部集』)
を、念頭に置いた本歌取りの歌である。
式部の「水の下なる石」を、「潮干に見えぬ沖の石」としたところに、新しい趣向がうかがえる。
作者は後に「沖の石の讃岐」と呼ばれたという。
※参考 文英堂 「原色小倉百人一首」
7月も今日でおしまい・・・月日が過ぎるのが、本当に早いです。
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きりぎりす 鳴くや霜夜の さむしろに 衣かたしき ひとりかも寝む
歌意: こおろぎの鳴く、霜の降りる寒い夜、むしろの上に衣の片方の袖を敷いて、
私はひとり寂しく寝るのであろうか。
作者: 後京極摂政前太政大臣(ごきょうごくせっしょう さきの だじょうだいじん)
1169~1206 藤原良経。関白兼実の二男。
『新古今集』の仮名序を執筆。
この歌は、「さむしろに 衣かたしき今宵もや われを待つらむ 宇治の橋姫」(古今集)と、
「あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし夜を ひとりかも寝む」(百人一首3番)の、
二首の恋歌をふまえた、本歌取りの歌である。
「きりぎりす」「さむしろ」の語から、山里での一人住みや、旅中の仮寝などが想像される。
※参考 文英堂 「原色小倉百人一首」
27日から開催されていた書道展、本日が最終日です(最終日は17時まで)。
その後、会場に集まった出品者全員で記念撮影、搬出の予定です。
初日は全作品を緊張して撮影。
2日目は横浜市の元職場の先輩Iさんが足を運んでくださいました。
偶然同じ時間に、近所に住む先輩AさんとNさん達も来てくださり、(IさんとNさんは職場で一緒でした)
久し振りに再会出来たのでせっかくだからと4人でランチをしました。
久し振りの再会で、話題はやはり健康の事、介護の事、興味の有る事などなど。
先輩達はとても若々しく、お元気です。
こうしてお会いしてお話しできることが、元気の元でもあるような気がします。
ご覧いただいてありがとうございました
また再会出来ることを楽しみにしています
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