このたびは ぬさもとりあへず 手向山 紅葉の錦 神のまにまに
歌意 : この度の旅は、幣(ぬさ)を捧げることもできない。さしあたって手向の山の紅葉の錦を幣として捧げるので、神のお心のままにお受けとりください。
作者 : 菅家(かんけ)
845~903 菅原道真。当代屈指の漢詩人。右大臣となるが、大宰府に左遷され、そのまま没。
神に捧げる幣(ぬさ。木綿や錦の切れ端で作られた、神への捧げ物)としては、
持参した錦の切れ端よりも、手向の山の紅葉のほうがふさわしいというのである。
これは間接的に、手向の山の紅葉を、錦織の華麗な美しさとして浮かび上がらせる趣向である。
※文英堂「原色小倉百人一首」参考
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神に捧げる幣(ぬさ。木綿や錦の切れ端で作られた、神への捧げ物)としては、
持参した錦の切れ端よりも、手向の山の紅葉のほうがふさわしいというのである。
これは間接的に、手向の山の紅葉を、錦織の華麗な美しさとして浮かび上がらせる趣向である。
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