来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに 焼くや藻塩の 身もこがれつつ
歌意: いくら待っても来ない人を待ち続け、松帆の浦の夕なぎの頃に焼く藻塩のように、
私の身もずっと恋いこがれていることだ。
作者: 権中納言定家(ごんちゅうなごんさだいえ)
1162~1241 藤原定家。 83番・藤原俊成の子。
『新古今和歌集』『新勅撰集』の選者。
『新勅撰集』の詞書などから、歌合の題詠であることがわかる。
男である作者・定家が、訪ねて来ない恋人を、身も焦がれる思いで待ち続ける女の立場で詠んだ歌である。
この歌は『万葉集』の
「名寸隅(なきすみ)の 舟瀬ゆ(船着場から)見ゆる 淡路島
松帆の浦に 朝なぎに 玉藻刈りつつ 夕なぎに 藻塩焼きつつ 海人娘人
ありとは聞けど 見に行かむ よしのなければ・・・・・・・(巻六・940)」
を本歌とする、本歌取りの歌である。
松帆の浦の夕なぎ時、藻塩を焼く煙の立ち上る静かな光景である。
その光景が、いつまでたっても姿を見せない恋人を待つ心のやるせなさ、いらだたしさを象徴している。
まつほの浦 →「まつ」は「(来ぬ人を)待つ」と、「松帆の浦(淡路島の最北端)」の掛詞。
※参考 文英堂 「原色小倉百人一首」
百人一首も残り3首となりました。長かった・・・
書いてから、ちょうど1年遅れでブログに投稿しています。
後少し、おつきあいください
にほんブログ村 クリックよろしくお願いします