6月の手本より
5年生
水星
「水」は、左払いと右払いがあって、バランスを学ぶには丁度良い字です。
「星」も二つの字の組み合わせとバランス、書きにくい字ですが、これも手本の字としては良いです。
中学2・3年生
花鳥風月
書道の作品としても使われる文字です。
成人・行書
草書
どちらも「浄心対筆硯」
読み・・・心を浄し、筆と硯に対す
意味・・・心を落ち着かせ、筆と硯に向かう
成人・隷書
竹香新雨後
読み・・・竹は香る新雨の後
意味・・・新たに雨が降った後、竹は芳しく香る
昨日(6月29日)のトータル歩数9592歩、脂肪燃焼量18.1g、総消費カロリー1701kcal
今日で6月はおしまい。今年も半年、あっという間に過ぎてしまいました~
今週は書道教室が休みだったので、のんびりしてしまいました。
教室では、たなばた競書で、大きな画仙紙に挑戦しています。
火曜、水曜は数人、木曜日はほぼ全員です。
大きな紙に書くと、とても良い稽古になります。
来週から、気合を入れて指導します!!
今日は年に一度の生活習慣病健診です。
体重が・・・・・やや増加しているので・・・・・かも。
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旅行記の続きです
玉川上水に親しむ会に入会して、耳にした「保科正之」
いわき市の友人宅へ伺う事が決まり、どうしても白虎隊の墓と保科正之の墓参りがしたいと計画。
前日の早朝出発して、会津若松と猪苗代町を訪ねることにしました。
飯盛山、鶴ヶ城、野口英世記念館と行き、時間がありそうなので初日に保科正之公の墓参りへ。
猪苗代町は緑の田んぼが続いていました。
日野とはもちろん規模が違い、整然ときれいに苗が植えてあり、
鮮やかな緑が目を潤わせてくれました。
宿泊するホテルの手前、道路に車を止めてチラッと立ち寄ります。
真っ白な鳥居が目を引きます。
案内板。
水量のある、澄んだ水が流れています。
川なのか用水路なのか不明ですが・・・案内板には「土田堰」と書かれていました。
ネットで調べてみました。
正之公が62歳で亡くなった後、会津藩主となったのが四男の正経。
土津神社を守るため、荒れ地を開田し、水を引いたのが土田堰。
檜原川(今は長瀬川)の上流にある松留(土湯沢温泉の下方)から取り入れ、
長坂地内、見祢、土津神社下、磐梯青年の家の下を通り、土田まで、約12kmの水路でした。
玉川上水に親しむ会に入会してからは、水の流れを見るとかなり気になります。
国が潤う為には、水が不可欠。 よく分かりました。
鳥居は巨大
奥の階段を上ります。
土津神社の拝殿
その右手に石畳の道が続いていますが、先へ行かず、引き返します。
土津霊神之碑
正之公の事績を、大義名分を最も重視された大学者・山崎闇斎先生が心血を注いで綴られた大文章です。
字数は1943文字あり、日本最大です。
碑名高 5m45 幅1m83 厚み1m51 重量30屯余
足元には亀
碑を振り返って見て、車に戻ります。
水路脇を右へ進み、奥へ進んでいくと、先ほどの石畳を交差して、ホテルがあります。
チェックインしてから、お墓参りへ
車道と石畳が交差する地点。
先ほどの道がここまで続いています。
石畳の左手、ホテルの前に、「丸清水」という場所が。
湧き水の場所なのか、不明ですが、大事にされているのが分かります。
参道石畳の解説板。
石畳の続きを上っていきます。奥に社が見えています。
保科正之公の墳墓の案内板
門の中を、柵の間から撮りますと、
「会津中将源君之墓」と刻んであり、小高い山になった中心部に八角形の墳墓がみえます。
「会津中将源君之墓」は保科公の官位だそうです。
「土津神墳鎮石」と刻まれています。
円墳の小高い山は柵で囲まれていて、手入れされた樹木が植えられています。
荘厳な感じです。
この鎮石は東日本大震災で、壊れました。
重機が中に入れないので、降雪を利用して作業道路を作り、復旧作業をしたようです。
16トンの石が二つですから、大変な作業だったと思います。
土津神社は昔は絢爛豪華だったようですが、戊辰戦争が始まり、消失してしまいました。
色々な歴史がありましたが、1880年(明治13)、社殿が完成しました。
2011年(平成23)には、保科正之生誕400年祭が行われたそうです。
こうして、現在まで地元の方たちが大切に守っている土津神社と正之公のお墓。
名君と呼ばれた正之公、興味深いです。
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254回目参加の空倶楽部です。
6月19日から昨日まで、散歩中や買い物途中で見上げた空の様子です。
6月19日 6:15 (CANON PowerShot S120)
曇り空から覗いた太陽と、並ぶ雲
6月22日 6:41 (CANON PowerShot S120)
うろこ雲から覗いた太陽。 面白い色の雲になりました~
6月23日 18:27 (CANON PowerShot S120)
見上げる青空に、面白い雲がひとつ。
ねじれたリボンのような雲です。
6月26日 6:04 (FUJIFILM FinePix S1 35ミリ換算 24-1200mm)
またどんよりと曇り空
6月28日 16:59 (iPhone 7)
朝から雨だったのに、夕方は青空になりました。
モコモコ雲とスジの雲が同時に。
日替わりで曇りや晴れや雨・・・・・この時期ならではの空模様でした~
【空倶楽部】は、毎月9日・19日・29日に空の写真をアップする活動です。
発起人は、かず某さん、chacha○さん 詳細はお二人のブログをご覧くださいませ
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鶴ヶ城を後にし、次は猪苗代町の野口英世記念館へ向かいます。
入口を入り、建物の中を抜けると、
野口英世の生家があります。
1876年(明治9年)11月9日に生まれて上京するまでの19年間を過ごした家です。
建てられてから200年近く経った今でも当時の姿が保たれています。
生家の左手には石碑
野口英世が書いた文字
家の中には囲炉裏があります。
家の中から囲炉裏を見ます。
人がいなくなったので、もう一枚。
展示館の中を見学。
「野口英世一度だけの里帰り」というホームシアター、英世の生涯を時代順に遺品や資料の展示、
「母シカの手紙」も展示してありました。
英世のロボットもいて、質問のスイッチを押すと、答えてくれます。
左手のハンディキャップを乗り越えて、医学研究に生涯をかけ人類の為に大きな貢献をした人。
子供のころに伝記を読んだことがあります。
偉人の人生に触れることは、何気なく生きている日々に刺激を与えてくれます。
私も
(CANON PowerShot S120)
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飯盛山で用水を見て、白虎隊のお墓参りをした後は、鶴ヶ城へ向かいました。
市営駐車場前の案内センターで地図をいただくと、
係の方からお昼はお済ですか~と声をかけていただき、
ラーメン屋さんとお蕎麦屋さんを教えてもらいました。
知らない土地では地元の情報を教えていただくととても嬉しいです。
城近くのお蕎麦屋やさんへ行くことに。
(CANON PowerShot S120)
おっとは「高遠そば」 初代会津藩主・保科正之が少年期を過ごした高遠のそばをもたらしたのが由来だそうで、
大根おろし汁に特製醤油を入れて食べます。
私は「ソースかつ丼」 会津でかつ丼といえば、ソースかつ丼が定番だそうです。
半分ずつ分けていただきました~
鶴ヶ城は西出丸の駐車場に止めて、歩きます。
城が見えてきました~ワクワクします
左の石垣は、
武者走り
五層の城で、一層から四層までは会津を治めた歴代領主、戊辰戦争や白虎隊の展示などがあります。
最上層で町並みが一望できます。
飯盛山方面
白虎隊のお墓らしき場所が見えています。
(昨日のブログには飯盛山から見た街並みを載せました。)
最初に見た、武者走り。上から見るとこんな感じなのですね~面白い。
ここでお城の歴史を。
1384年(至徳元年) 葦名直盛が東黒川館を建てる。(葦名家)
1589年(天正17年) 伊達正宗が会津に入る。(伊達家)
1590年(天正18年) 蒲生氏郷が会津領主として黒川城に入城。(蒲生家)
1593年(文禄2年)七層の天守閣完成。黒川を若松に改め町割りを作る。鶴ヶ城と命名。
鶴ヶ城の生みの親。七層の城を築き、茶室麟閣も建てた。
1598年(慶長3年) 上杉景勝が会津入りし、出羽3郡・佐渡3郡を加えて120万石となる。(上杉家)
1601年(慶長6年)上杉景勝が米沢に転じ、蒲生氏郷の子・秀行が会津に入る。(再び蒲生家)
1627年(寛永4年) 伊予松山から加藤嘉明が会津に入る。(加藤家)
1639年(寛永16年) 天守閣は五層に改められる。
1643年(寛永20年) 嘉明の子・明成が会津40万石を幕府に召し上げられる。
三代将軍家光の弟・保科正之が最上から23万石で入封。(保科家)
1862年(文久2年) 容保京都守護職を命じられる。(松平家)
1868年(慶応4年) 戊辰戦争が起きる。
一ヶ月の籠城の末、鶴ヶ城開城
1874年 鶴ヶ城取り壊し。
1965年 天守閣再建工事落成。
1984年 築城600年記念式典。
2011年 天守閣屋根瓦を赤瓦に葺き替え完成。
幕末の戊辰戦争では、鶴ヶ城を中心に戦いがあり、鶴ヶ城は砲弾にさらされ傷つき荒れ果てた。
戦争後、天守閣は政府の命令により取り壊された。
市民の願いが叶い、天守閣が復元されたのは昭和40年のことである。
(城のパンフより抜粋)
城の中は木造ではなく、コンクリート。展示物を見て歩くと、資料館の中にいるような雰囲気です。
五層目の展望室に上がると、城の中にいるのだなと実感出来ます。
歴史の展示物を見て、外へ出ます。
赤瓦と白い壁が、特徴。
南側に
土井晩翠の「荒城の月」の碑があります。
鶴ヶ城と青葉城をモチーフに詩を作ったそうです。
土井晩翠の直筆だそうです。
(Nikon D750 24-120mm F4)
鶴ヶ城、一時は七層あった時代もあり、パンフに小さい写真が載っていましたが、全体に茶色っぽくて豪華に見えました。
又、傷んだ城の写真もあり、633年間の歴代領主の変遷なども分かりました。
駐車場に戻って、
(CANON PowerShot S120)
堀を見ながら城を後にしました~
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つづき~
正面
右側から
入場料を払って、中に入ってみます。
寛政8年(1796)、郁堂和尚が考案建立したもので、六角3層高さ約16メートル。
昇り下り別々のらせん通路により、階段が無く、一方通行で上下するという日本唯一の名建築とされています。
入ると、建立した郁堂禅師の像
こんな感じで上がります。階段が無いとのことですが、細い板がつけてあります。
一番上、天井です。文字札が貼ってありますが、私は何もない方がスッキリとして良いような気がします。
中央部分。反対側へ抜けられそうです。
開祖の禅師像
外へ出て、右に進むと、
白虎隊士の墓
士中白虎二番隊、自刃した19名の墓。名前が刻まれています。
その右手は、戦死した31名のお墓
さらに右へ進み、
自刃した場所
鶴ヶ城に向かって自刃したとあります。
眼下には城下町が広がっていますが、
コンデジだったので遠くが霞んでハッキリ写っていませんが・・・
(上の画像をトリミング)緑の帯が見える辺りが城で、赤丸で囲った部分が鶴ヶ城のようです。
(CANON PowerShot S120)
つづく
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いわき市のY邸を訪問する前日・6月24日(土曜日) 朝6時16分出発~
あきる野ICから圏央道(菖蒲PAトイレ休憩)~東北自動車道(安積<あさか>PA)~磐越自動車道を走り、
会津若松ICを下りたのが10時。
最初に訪れたのは飯盛山
え~~っ! あの階段を登るの~?と思いきや、
数段上ると、左手に白虎記念館があり、
楽な参拝順路の案内板がありました。
左に進み、
赤い鳥居をくぐって、厳島神社に出ます。
興味が湧く、水の流れ~!
戸ノ口堰と洞穴
会津盆地へ水を引く用水堰でした。
左の丸い案内図には、
白虎隊が辿った道が表示されていましたが、出陣路と退却路があり、
(色が解りづらいので、私がフォトショップで着色)
水路の一番奥にある洞穴。
ここを白虎隊の少年たちが潜って退却したようです。
水路の水は量も多く、勢いよく流れています。
右方向に歩いて、
さざえ堂
面白い形の御堂です
(CANON PowerShot S120)
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アジサイが取持ったご縁で、交流が続いているいわき市のYさん。
4年前、おっとのブログをご覧になってコメントをいただいてからのお付き合い。
2015年には、震災で壊れた明治時代からの立派な蔵を、改築され、内覧会前に訪問。
去年はYさんが日野に来られて、高幡不動尊の紫陽花を一緒に観賞。
そして今年。
春にはフラダンスと音楽のコラボがありましたが、私たちは田舎へ行っていたので行けませんでした。
今回、ミニコンサートをされるというので、一泊で福島へ出かけました。
24日(土曜日)は、会津に行き、白虎隊の青年たちが自刃した飯盛山、鶴ヶ城、野口英世記念館、
宿泊するホテルの脇にある保科正之公のお墓にお参り。
翌25日(日曜日)は、達沢不動滝を見てから、いわき市のY邸へ
2年前に来た時より、花木が増え、紫陽花も沢山あり、素敵なお宅になっていました。
入口にはコンサートの案内
蔵内の明治時代からの太い梁が、音を吸収し、クリアな音が耳に優しく響き、
とても素敵なコンサートでした。
終了後、すぐに失礼し、自宅に戻ったのが19時半前でした。
内戦の悲劇や、日本の発展を担った歴史人物に感動し、
素敵な音楽に感動した、ミニ旅行でした。
画像を整理しながら、旅行記を綴っていきます。
(Nikon D750 24-120mm F4)
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173回目参加のむし倶楽部です。
5月28日に撮ったのは
ツツジの花に隠れていた蝶々
隠れていたというよりもかなり夢中で食事中~
ハチやハナムグリだけでなくチョウチョウも同じなんですね~
あ~~、美味しかった! みたいな。
(追記・・・蝶々の名前はbaraさんに、『ウスバシロチョウ』と教えていただきました。
翅が薄くて透きとおっているようにみえます。ありがとうございます。)
6月19日には、
アジサイのつぼみに止まっていたハエ
食事というより、ただ休んでいただけみたい~
いずれにしても、花のある所、虫ありですネ
6がつく日は、むし倶楽部
詳しくは、NOZOさんの「★進め!!野外探検隊★」まで、どうぞ
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毎月25日は雑草倶楽部です。
2009年4月から始まった雑草倶楽部は、今月で99回目です。
早速~
メマツヨイグサ(雌待宵草)
野生のアサガオ
ワルナスビ
最後に我が家のダンスパーティー
玄関前の小さな花壇に、おっとが選んだアジサイを植えて、今年3年目。
根付いてくれたようで、元気に咲いています。
玄関前にはツツジ2本と沈丁花も植えたのですが、
我が家はツツジとの相性が悪いようで、庭に植えたのも育ちませんでしたし、
玄関前のもダメで抜いてしまいました。
培養土を追加して、今年3年目のKmoriさんから頂いた渦紫陽花を移植しました。
1本は庭で大きく育っていますが、こちらの3本は日陰になり育ちが悪かったので、
真夏を避ければ移植も大丈夫みたいなので、思い切って玄関へ。
数年後、ダンスパーティーと渦紫陽花の競演が見られそうです。楽しみ~
メンバーの皆さんのブログへは、左サイドバーから訪問できます。
素敵なお花が待っていることでしょう~
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