ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

2024年、TIME誌が選ぶ、「今年の人」

2025年01月04日 | 日記


 昨年の話なのだが、2025年に繋がるので載せてみよう。
 2024年12月30日付、TIME誌は、今年の人に、Donald Trump氏をえらんだ。僕は、なるほど、そうだろうと思った。
先ずは、選んだ背景、理由などがわかるだろう記事の文章をそのまま日本語に直し載せてみる。

・(「今年の人」を開始してから)97年間、TIMEの編集者達は、「今年の人」を選んできた。良きにつけ、悪しきにつけ、最も世界の形作りに影響を与えた人物。この1年間、頻繁に報じられてきた個人を。過去を通じ、選ぶのは難しかった。しかし、2024年はそうではなかった。

・大統領への出馬を始めた2015年から、トランプ氏ほど、政治や歴史のコースを変えるのに大きな役割を果たした人物はいない。彼は、2016年に勝利し多くの人を驚かせた。

 2021年選挙に敗北し、大統領府への暴動もあり、当時、どん底にあったが、今は、絶頂である。第2期目の大統領に向かう中、熱狂的な支持者から、厳しく批判する者まで、全てがトランプ氏の時代にある。

 歴史の秩序を復興すること、一世代に一度、政治の再編をすること、アメリカの大統領制の作り替えをすること、世界でのアメリカの役割を変えることなど、の彼の行動から、2024年の、「今年の人」とした。
・・・・・・・

 さて、僕は、現在のような混乱の時代は、多くの国が強いリーダーを求めているのか、と思うが過去にもこのような時代はあったのではないかとも思う。
 2025年はおきな動きがありそうな・・・・・。

    2025年1月1日  岩下賢治
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実は逆だった

2024年12月25日 | 日記

         アオギリの黄葉

 歳をとってくると身体のあちこちに支障が出てくる。私は今、過度の乾燥肌に悩んでいる。どの医者に診てもらっても治療法は一つ、保湿剤を塗ること。原因は老人性とのこと。
 原因は別のところにあるのではないか、私は密かに疑っている。
 話は変わるが、マラソンで活躍した人から聞いた話だけど、右膝を痛めた時、鍼灸で治療したが、右側の周辺筋肉群に治療を施した後は、必ず同じようなことを正常な左膝周辺にも施術を施したとのこと。人間の体は左右対称にできているので、片側だけ治療しても十全とならないとのこと。関節などは、左右のバランスが崩れた時には、一層、反対側に注意を注ぐのだというのである。
 なるほどと思うことがある。私は過度の右利きである。だから足は左足が利き足になり、走る時や歩く時に、左足が主軸となり、右足は引き戻しが弱く、流れるようになる。その矯正のため右足に意識を集中し、なるべく引きつけて着地をするように心がけできた。結果、多少は是正できたと思う。
 ところがある時、ふと気がついた。弱いのは右足に違いないが、本当は、強い左足に依存するあまり、左足が不自然な動きをしていたのではないか、と。そこで逆に軸足に力を込め、着地の時に体重を十分に乗せるようにしてみた。するとなんと、右足はスムースに前に出るようになった。街のショーウィンドウに映る自分の姿を見て、なんとなく心地いい。悪かったのは、右足では無く、反対側の左軸足の動きだったのだ。
 話は元に戻って、乾燥肌のこと。老人だから肌が乾燥するとするのは、一般論であって、本当の原因は別のところにあるのではないか、と疑った。私は歳をとってからも週1回、かなりきついランニングを行っている。それに週一回、ジムに通い、1時間15分ほど、上半身のパワートレーニングとトレッドミルに乗ってののランニングを行っている。その結果、でっぱりそうな腹回りが引っ込み、胸骨と背筋の可動域が広がった。筋肉は歳をとっても鍛えられ、発達すると言われているが、正にその通り。筋肉細胞群が活性化してきているのだと自覚できる。
 だから乾涸びた乾燥肌とは無縁だ。私の皮膚病は、老人性の皮膚の衰えと、トレーニングで再生される筋肉の成長がせめぎ合った結果の症状なのではないか、と空想するのである。つまり医師とは逆の視点である。
 痒みやオデキについては、薬を塗布する必要はあるが、薬剤が適切かどうかは不明である。その結果が症状に改善が見られず、長期にわたる療養が必要になっているのではないか、と疑う。老化と再生の間に、ホルモンのバランスが崩れる症状があるのではないか、と思うのである。
 ある皮膚科の医師は、この症状は不思議で夏になると治るのですよ、と言った。私は、すでに2シーズンの夏を過ごしたが、一向に回復に向かわないのだ。【彬】

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韓国の政変と反日意識

2024年12月18日 | 日記


          秋の収穫
 韓国の政治が揺らいでいる。
 今回の尹政権だけではない。前々回の朴政権ほか、いくつかの政権が揺らいで崩壊していった。理由はいくらでも上げられるだろうが、本当の原因はなんなのか。韓国の知識人自ら究明すべきであることは言うまでもないが、隣国から見る構図も示しておくべきだと思う。
 私は専門家ではないが、古来より朝鮮半島は政権が錯綜してきた。半島全体を辛うじて統一したのは、李氏朝鮮だけのように見える。この李国家は日本はじめ、中国、ロシアの絶え間ない干渉によって、瓦解してしまったが、現在の朝鮮の人たちがこの李王朝をどう評価しているのかが、明らかになっていない。外部から見ると、朝鮮半島の統一は李王朝をどう位置づけるのかで、決まってくるように思うのだ。
 朝鮮半島は統一されるべきだと思う。中国における台湾問題とは訳が違う。中国の分裂は内戦の結果だが、朝鮮半島の分裂は内戦とは言い難い。実質的には、共産主義中国とアメリカの朝鮮戦争の結果だ。
 朝鮮の統一が明瞭に見えないせいで、結果として反日運動が起こっていると思う。慰安婦問題にしろ、徴用工問題にしろ、あるいは在日問題にしろ、自分達のアイデンティティーが朝鮮国家の成立を射程に置けないために、起きているのではないのか。
 現在、韓国は「韓」という王朝を基礎に置いているが、この王朝は朝鮮の歴史の中では、本当に日が浅い。他国のこととはいえ、朝鮮国家のあり方が日本の国益との関係で否応無しに気にかかるのである。韓国の政情を保守・革新で分けようとする風潮があるが、問題の本質からは遠く離れている。【彬】
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街道の落ち葉

2024年12月11日 | 日記

                 並木
 この2,3日の冷え込みで、木々の葉の色付が本格化してきた。各地の紅葉も伝えられている。夏が暑かったせいで、葉が茂り、紅葉がいつもより鮮やかなようだ。我が家の近くの街道に植えられているユリノキも茶黄色に紅葉し、歩道を歩くのが気持ちいい。この木は植樹されてかれこれ40年。ずいぶんを大きくなって、歩道を覆いかぶさるように茂っている。
 問題なのは、落葉の処理。路面を管理している商店街の人々や民家の人たちは大忙し。今は焚き火が禁止されているので、落ち葉を掃き集め、管理するのが相当に面倒なのである。
 毎年、秋口になると落ち葉対策としてか、並木の強剪定が始まる。枝や葉は綺麗に刈り取られ、丸坊主。このほうが美観上好ましいと思う方もいるが、大きく育った木の生育を損ねていることには違いない。今年は剪定年を免れたのか、枝葉が大きく張り、夏場に木陰を作ってくれた木々である。
 落ち葉、なんとか火を使わないで始末の仕方はないのだろうか。炎は出さず、高熱で乾燥させる燃焼炉とかを並木の所々に設置する。灰は肥料になるので、そのまま並木に施肥すれば木々は一層育つだろう。などと空想する。
 落ち葉の季節は、落葉を踏み歩くことの風情もあるが、また掃き清めれてた路面を歩く気持ちよさもある。新緑を含め、並木通りの四季を体感できるのは、都会で住むものの楽しみのひとつである。
 とはいえ、一番の問題は、歩道が狭いこと。先だって、ある幹線道のバスに乗ったのだが、街道沿いにイチョウが植えられている。強い剪定で樹は萎縮している。イチョウは厚みのある葉が特徴で、歩く時には支障がある。それに強い匂いの銀杏。並木の木として決して好ましいとは思えない。公園などでは、雰囲気を醸しだず象徵のような役割を果たすが、狭い歩道とは相容れない樹木だと思う。
 街道の並木はどうあるべきか。本腰を入れて考えたいものである。神宮外苑の緑を保護することが一部で話題だが、ポイントがずれている。都市の樹木は保護するものではなく、人間にあわせて管理するものである。都市の並木のあり方、あるいは管理の仕方を本気で検討してもらいたいものだ。高木である必要はない、場所によっては灌木が相応しい場所もあるのだ。江戸時代の並木は、道路の里程標の役割を果たす榎が植えられていた。【彬】

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マス・メディアの衰退

2024年12月02日 | 日記

                  タマスダレ
 わたしは新聞を読まない。テレビはスポーツの実況とBSフジの「プライム・ニュース」。ああ、NHKの「カネオクン」は見るか。息子の家族も新聞を購読していない。テレビはネット・フリックスから。
 世の中の動向を知るにはパソコン上の yahoo japan とX投稿で十分。
 私と同じようなメディア接触をしている人が多いのではないか、と思う。
 実は私の知人の新聞配達員の二人が首になった。朝日新聞と東京新聞である。幸いなことに同業の店舗に配属されたが、新聞の危機は末端の配達員にまでに影響を与えている。NHKも聴取料を取るために、引っ越し時の再登録をお願いするメッセージを番組中に流し続けている。
 ネット時代はさまざまな場面で影響を与えている。近くは兵庫県知事選のあり方である。マスコミの予想がはずれ、辞職した前知事が再選された。ネット上の情報操作が強く影響したとされている。
 私がマスコミと接触しないのは、マスメディアやジャーナリズムが不要と思っているからではない。むしろ必要だと思っている。メディアは人々の目となり鼻や口となって国内はおろか世界中を、記者たちが駆け巡って様々な情報を収集、状況を伝えている。各地に派遣されている記者たちの活動は貴重である。だが、そういう記事やコトバが受け手から疎遠にされているのである。なぜなのか。その理由を一番知っているのは当事者に違いない。忙しさにかまけてその理由を理解していだけである。
 新聞にしろテレビにしろ、大きくなりすぎた。マンネリというのが一番ぴったりしていると思う。巨体をもてあまし時代の動きに対応できないでいるのである。テレビや新聞の広告をみれば状況がいちばんはっきりする。いま、新聞にビッグビジネスの広告が乗るだろうか。新聞が信用されていない証拠である。テレビも然り。話題になるような企業広告は皆無だ。
 メディアの役割は重要だ。時代に即した改変を願わずにはいられない。【彬】
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