白い花の芙蓉
私の永年の親しい友人が重度の障害に苦しんでいる。生来ではなく、階段で足を踏みはずた転倒事故で頚椎を損傷、その結果、下半身はおろか上半身も麻痺、重い障害を抱えた。
福岡在住の松崎栄一君である。もう七年が過ぎた。
幸いなのか、脳には影響が及ばす、かつてと同じように明敏で、以来、途切れずにブログを綴っている。そして障害者の立場から、世の中のことや身の回りのことが、どのように感じられるのか、明晰に語っている。貴重な報告である。その発端から紹介しよう。
まず、事故からの目覚めである。
[大学病院の救急に運ばれた。5時間位の意識不明から覚めた。大怪我をして運ばれたようだ。とにかく首が猛烈に痛い。躰は全く動かない。頭は大混乱、何をどう考えたらいいのか皆目わからない。]
”この私が大怪我をしたなんて何かの間違いではないか、この私の身に限ってそんなことが起るなんてあり得ない。夢に違いない。目が覚めたらまたいつもの日常が始まっているだろう。夢であって欲しい。” (しかし、そのいつもの日常は始まらなかった。)
” 大変な怪我をしたようだが、果たしてどの程度の怪我だろうか。まあ、今は手術が済むまで色々心配してもしょうがない、なるようにしかならない。大怪我だったとしても、自分の運命を引き受けるしかない。静かに明日を待とう。”
” 死ぬわけではない。どんなになろうが生きていければそれでいい。そう思おう。”
私たちは、高熱を発し、意識朦朧した時、すごい悪夢を見たことに怖気立つことがある。しかし日常に帰れば、その悪夢も悪夢としてやり過ごすことができる。しかしその悪夢が現実であったことを知るときの苦悩は、私たちは思い至ることができない。淡々とした文章ですが、「自分の運命を引き受けるしかない」と言い切らざるをえない、松崎君のその苦悩はいかばかりだったか。
[1週間位経った。]
” 両手両足が完全麻痺でほとんど動かない。寝返りもできない。電動車椅子にはなんとか乗れるそうだ。ベッドに24時間寝たきりにならなくてよかった。しゃべることには不自由はなさそうだ。だが、一体これからどうなるのだろうか?”
[2週間位経った。]
” 若い頃からの私の今までを考えれば、この程度で落ち込むようには私の心は出来ていないはずだ。これまで心がつぶれそうになったことは何度もあった。しかしその都度、時間はかかったがなんとか克服してきた。だからたいていの逆境には耐えることができるようになっている。そのたくましさを求めての今までの人生だったではないか。大したことはない、なんとかなる。”
[せき損センターに移り、リハビリに励む。しかし、腕は10㎝位しか動かない。怪我して半年位経った頃。]
” うつしよの はかなしごとに ほれぼれと
遊びしことも 過ぎにけらしも (古泉千樫作)
この短歌に刺激され対抗上、入院中の病院のベッドの上で次の短歌を作った。作り終えた時、何か憑きものが落ちた気がした。
胸の上 リハビリ重ね 右の手で
いとし左手 撫でさすりけり
1週間たち2週間が過ぎ、病状の確認と、それに立ち向かう気魂を養っていく。そして、読書やテレビの教養講座、さらには音楽など幅広い分野に立ち向かい、知識を広めていく。
「あらためて思うことはやはり言葉だと思う。その局面その局面での言葉の発見だと思う。しかしすぐには言葉は発見できない。言葉を発見することはそうたやすいことではない。落ち込みが深ければ深いほど、言葉の発見には長い時間がかかる。私の経験では落ち込んでから1年くらいかかることはざらであった。それ以上長いこともあった。
言葉の発見という云い方がわかりにくければ、言葉を練り上げる、或いはストーリーを作ると云ってもよい。言葉が見つからない、その時間は本当につらい。その忍耐の果てに自分を元気づける言葉はあるだろうか、自分を救う言葉はあるだろうか、あって欲しい。その言葉を求める孤独な営為は報われるだろうか、報われて欲しい、たとえどれだけの時間がかかろうとも。」
上記のように、頭脳での闘いが、やがて「言葉だよ、言葉が全てだ」と思い至ることになる。生きるということは言葉を発見し磨き上げることなのだ。これこそまさに「文学」である。
その他、この間、介護制度の問題、貧困の問題、親族の介護負担の問題、さらには国家の外交問題など、知的な営為を続けている。もちろん、こうした活動ができるのは、奥さんの全き献身に加え、パソコンの普及がある。書物はパソコン上にダウンロードできるし、また文章を書くにも音声入力がある。
余談になるが、今、参議院議員に木村英子氏と舩後靖彦氏がいる。お二人が何を語っているのか、もっと開示して欲しいものである。
松崎君のブログは 天拝山のあの道この道 で検索してください。7年間の膨大な活動が読めます。【彬】