シラカシの実
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駅前の巨大ビル(半ば公共のビジネスビル)のロビーで人待ちをしていた時のこと。ロビーには椅子があって、広々として、天井も高く、穏やかな朝日が差し込んできて、まるで上等なホテルにいるかのよう。3機のエスカレーターでは、多くの男女が出入りして、行き来が絶え間ない。
ところが不思議なことに靴音が聞こえてこない。絨毯が敷かれているわけではない。男女とも皆、ソフトな靴、スニーカーやゴム底のシューズを履いているので、靴音がしないのである。休日にスニカーカーを履くのは、いまや普通のことであるが、ビジネスシーンでも同じなのだろうか。スーツを着てスニーカーというのは私の年代には不釣り合いに感ずるのだが。
履き物というのは、生活シーンを端的に表すものだと思う。お葬式に行く時、スニーカーは履かないと思う。以前に紹介したことがあるが、村上一郎「日本軍隊論序説」によれば、日本の軍隊が近代的な体裁を整える上で、もっとも大事だったのが軍靴だったという。東北地方で入隊した新人は、軍隊に入って初めて靴を履くのである。靴こそ自分の職分を表すものだった。
映画やテレビドラマでも、足音は重要な擬音である。忍足、脱兎の如くの足音、催促する足音、高下駄の音、などなど。私はテレビドラマを観ないが、いまはもう、こうした効果音を使えないのではないかなどと思う。昔の映画などでは靴音が、脇役以上の脇役を果たし、その擬音でドラマの真柏性を上げることは常識だった。
靴は道路と関係する。今時、雨の中、ゴム長を履いている人は見かけない。都会のインハラはジャーナリズムが云々する以上に整っているのだろう。【彬】