ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

ネット通販の便利と不都合

2021年06月30日 | 日記

      桔梗 花の色が上手に描けない。

 ネット上で買い物をすることが多くなった。私は反対なのだが、我が家では食品類もネットで購入するようになった。生鮮さが命の食品くらい近所のスーパーやお店で買うべきだと思うが、店頭のものが必ずしも良品だという保障なない。当たり外れがあって、嫌な思いも時にはある。ネット上はというと、思いがけない良品が届くこともある。製品の管理や流通機構がそれだけ発達してきた証拠なのであろう。
 今、コロナ禍中のさなか、配達需要が高まっていて、街の通りでは配送業者が頻繁に行き交っている。これもネット通販である。
 ところが通販というのは、商品を手にとって確認できない不安、不満がある。ネット上なら事細かな画像の紹介があるから、かえってわかり易いという意見もあろう。でも、あれやこれや画像を見ているうちに、なんだか訳が分からなくなり、選択が的確でなくなって、嫌々ながら購入サインを送ることがままある。
 ネット社会に不慣れな老人のせいなのか。特に衣料品や身に付けるものは要注意だ。シャツなど、色柄は画像で確認できるが、材質やサイズは、手にとって体にあてがってみないとわからないので、判断のしようがない。体型は各々多様なのだし。私自身何回か失敗し、返却も面倒なので、放置して置いているものが4〜5点ある。店頭で購入しても同じような失敗もないわけではない.......。
 規格の制約がほとんどない書籍類でも、不満がないわけではない。中身はともかく製本の仕方や紙質が気になって、ガッカリのこともある。その他、靴、植物、家具類等、購入して満足というのはなかなかないものだ。近場の専門店が軒並み閉店の余儀なき時代、ネット通販を利用せざるを得ないないのであるが、思うにかつてのデパートというのは安心で、間違いがなかった。もちろん、それだけ高かった。
 便利そうであっても、不満も多いというのがネット通販ではないか。そういうとなんだか時代に取り残された老人ぽくなるのだが、おそらく若い人でも満足していない人はいるに違いない。
 この不満、ひょっとするとネット消費社会の根本を揺るがす大きな問題のようにも思える。アマゾンのように即配達という便利さの一方、商品の供給と需要の関係の、新次元が来ているように思う。【彬】

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地元田んぼの鴨

2021年06月27日 | 日記

 6月26日(土)梅雨の合間に、三鷹市大沢の田んぼに出かけた。2週間ほど前、地元の子供たちが田植え教室をしていた。その後どうかを確かめに行ったということ。

 きちんと植わり育っている。なにか生き物がいるのではと、しばし水田をながめる。ミズスマシが水面を動き回る程度だ。カエルをとらえに来た子供たちもガッカリの様子。

 時期が早いせいもあろう。いずれ生き物は現れてくるだろう。

 またもや、茨城時代の記憶がよみがえる。水田付近に足を踏み入れると、水しぶきのように無数のカエルが飛び散る。それを狙う蛇が必ず出る。だからいつも蛇除けにステッキを持って歩く。水田を覗くと大きなタニシ、ドジョウ、まれに、アカハライモリも見る。実に楽しい世界であった。

 さて現実の大沢の田んぼに戻る。すると、中ほどに、鴨が一羽、水草などを食んでいる。いつもは近くの川にいるのだが、僕のように田んぼに遊びに来たのだろう。

 又、茨城の田んぼにもどる。合鴨農法を行う田んぼがあちこちにあったな。田植えが終わると合鴨が水田に放たれる。鴨は泳ぎ回り、雑草を食べていく。無農薬農法で、そういう水田には、夜、蛍が飛び交う。

 しばし、そういう風景を眺め、記憶の旅をたどる。そして用を足し、戻ると鴨はいなくなっていた。僕も、田んぼの確認ができたので帰ろう。

   2021年6月27日  岩下賢治

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

感染防止対策と飲食業

2021年06月19日 | 日記

                    葵

 来週から東京都は、緊急事態から蔓延防止に移行する。相変わらず、飲食業は夜7時以降の酒提供が禁止される。こうした行政措置に対して、憲法の基本的人権の営業権に反するのではないか、との見解を示す法学者も現れた。
 「憲法学においては、営業の自由を含む「経済的自由」の公権力による規制は、表現の自由などの「精神的自由」の規制よりも緩やかな司法審査に服すこととなっており、このように規制対象によって基準が二重になっていることを指して「二重の基準」と呼んできた。
 噛み砕いて言うなら、「営業の自由」は「表現の自由」や「報道の自由」などに比べると、簡単に政府による規制の対象となってしまうのである。このようなかたちで経済的自由を精神的自由に対して劣位に置くのは、「知識人」特有の偏見なのではないかと法哲学者の井上達夫は論じた。」谷口功一(東京都立大学法学部教授)web Voice6月14日公開より。
 私もそう思う。法律論議については専門ではないが、飲食業の規制は、普通に考えてもおかしいのだ。
 何故か。
 私は二つの点を上げたい。一つは効果の問題。二つは飲食店がスケープゴートにされていること、である。
 感染が確認されて以来かれこれ2年余り経過しているので、感染経路がおおよそ分かってきていると思うが、感染に関して飲食店がどのくらい関与媒介しているかという問題が一つである。思うに、マスコミ等各種メディアで報じられているところから類推するに、飲食店経由は皆無ではないのか。
 私の知っているお店は、通気性を気にし、テーブルにはパーテーションを置き、手を消毒させる。さらに客席を離すなど、懸命だ。そして生き残り策としてデリバリーを始めており、街中を配達員が絶え間なく動き回っている。人流を抑えること、三密を防ぐことなどの、キャッチフレーズから言っても、飲食店があることによって、人流が増えるなどということはない。もともと人流が多いから飲食店があるのである。加えて、人流が増えたこと、三密を避けたことが感染者数とどう関係しているものやら。人流の最も激しい鉄道などで、患者が増えたというのか。
 二つ目のこととして、飲食店がターゲットにされるのは、多分、お酒=行儀の悪さ、盛上り習慣があるのだろう。アメリカではかつて禁酒法で酒を禁止したことがあるが、この制定理由もピューリタンから見ると、お酒=行儀悪さ・仕事に差し障るということが根本にあったようだ。その禁酒法がどんなに悪法であったかは周知のことであり、お酒はスケープゴートにし易いのである。飲食店でクラスターが発生したなどと聞いたことがない。都内の繁華街を行政官がマイク片手に帰宅するよう呼びけている姿は全く喜劇である。
 一部のデータだが、感染の多くは家庭であり、あるいは合宿や合同宿泊所(スポーツ、養老、病院など)であることはだんだん分かってきている。
 飲食業を規制から解放することが、喫緊の課題であるべきだとつくづく思う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アニメーターの導き・・・高校同窓会でのこと。

2021年06月11日 | 日記

 先日の日曜日、母校都立武蔵高校同窓会が開催された。このコロナ禍、パソコンのライブ配信もあるのでこちらで視聴した。その後の、アトラクションで、先輩同窓生のアニメーター、小田部羊一氏の講演があった。

 さて、2年前のNHK朝ドラ「なつぞら」のこと。日本のアニメーション草創期に、アニメーターとして活躍した女性の挑戦、開拓者魂、を描いたもので、僕は、このドラマが大変気に入り、全ての回を観ていたし、一部録画保存もしている。ヒロイン「なつ」のモデルとなっているのは、奥山玲子さんという方。そして、その夫が、小田部羊一氏ご本人ということ。小田部さんは数々の作品に携わり、高畑勲、宮崎駿、と共に「アルプスの少女ハイジ」「母を訪ねて三千里」ほかで、キャラクターデザイン、作画監督を務められた。またNHKドラマでは時代考証もされている。

 僕は、当時のアニメ制作現場に興味があったので、小田部さんの話に、ドラマの展開内容を重ね合わせながら、おおいに興奮した。

 僕は、今、趣味で絵を描いたりしているが、アニメーションは別の世界、才能豊かな人の集団で、小田部さんは、雲の向こうの人と思っていた。ご本人が子供の頃、ディズニーの「白雪姫」が好きでよく模写をしていたと、当時描いた絵の現物を披露してくれた。さすがと思う絵だが、ここでようやく、共通する場を見たような気がした。

 僕も、子供の頃「白雪姫」が好きで、小学生のはじめくらいだったかな、絵本で「7人の小人」をみて頭をガーンと打たれたのをはっきり覚えている。なんと素晴らしいマンガ、可愛い絵なのか。だが、何度もかき写してみたが、あの独特の表情がどうしてもでなかった。

 今回、小田部さんの講演で、今を輝く日本のアニメーション界に繋がる草創期の人達の、苦労、情熱・・・を少しは解った、と思う。

 さて、長い時が過ぎ、「7人の小人」を描いてみた。

     2021年6月10日  岩下賢治

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コロナを抑えた和歌山県

2021年06月08日 | 日記

                  咲き始めたミニバラ

 コロナ感染、ようやく収束の兆しが出てきたようだ。

 早野龍五さんのまとめているデータによると、6月7日現在で、東京都の実効再生産数は0.83、このところ0.8台を継続。また北海道や大阪は0.7以下にまで下がり、沖縄も1を割っている。全国値でも0.7だ。ゆっくりだが、収束していることは確実である。これにワクチン接種が上乗せしてくるのでので、今後は収束の歩みが早まるかもしれない。

 ところで今、和歌山県知事の発言が話題だ。和歌山県は全国で最も感染者が少ない地域で、感染の抑止に行政の工夫をこらしたことが影響しているとの、知事発言である。

「和歌山県では、すべての医療福祉機関にコロナの検出装置(PCR検査キットや抗原検査キット)を配っています。ちょっと怪しいなと思ったら、すぐに検査してもらって、陽性者を見つけたらすぐに隔離、入院させます。全員入院させておかないと本当に危ないのです。」

 また

「コロナが流行ってくると、京都大学の西浦博教授のような方が、「国民の行動を抑制せよ」とすぐに言います。しかし、それは半分正しいけれど、半分間違っている。半分しか正しくないわけです。最終的には行動の変容が必要になるかもしれませんが、基本的にはコロナの拡大防止は積極的疫学調査を武器にして、感染症法を使って保健医療行政で立ち向かわなければなりません。保健医療行政は行政ですから、私が直接指揮命令できます。それに立ち向かって、県民に余計な迷惑をかけない。いい加減なことをしておいて、県民に要求ばかりするのは間違いです。」

 という。

 私は医療や行政上の部外者で、そうした成果に対して何もいうことはないが、日本の感染病に対する実務対策を行うのは法律上、保健所と決まっている。この保健所が率先して対策を行うべきであるのは、和歌山県知事が言う通りだと思う。

 私は以前、コロナに対して保健所の動向が一向に伝わってこないことを不満とした記事を書いた。保健所から上がってくる情報が未だファックスを使っているなどと揶揄していた記事があったが、メディアはそうした保健所の活動、体制をいちはやく報ずべきだった。そして保健所の人員が不足しているのなら、行政として素早く補充すべきだった。

 保健所のことを知りたいのは今でも変わらない。今回の感染、保健所で抑止できるなどとは思わないが、その元締めのところがどうなっているのか、知りたいのである。諮問委員会や知事がどうしたこうした、というよりもこれが大事なことだと思う。新たな感染症が出た場合の対処などのためにも、保健所のあり方から見直す以外に道はない。自衛隊の出動を含め、パンデミックに対する対処の仕方、今回のコロナでつくづく思い知らされた根本的な問題である。【彬】

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする