泥水になぎ倒された河川敷のコスモスが、ところどころでかろうじて咲いている。
大型の台風が2度にわたり、本土を襲い、空前の被害を列島にもたらした。
私たちはただなすすべなく、避難するより手がないのだが、地震を含め、大火、大雪など巨大な自然エネルギーに対して、何か対策対応することが出来ないのか、想いがいろいろ巡ってくる。
環境庁では今、気象変動に対する総合的な対策として、農漁業や治水、山林対策などにわたって具体策を取りまとめているようだが、しかし、その視点は、温暖化による旱魃とか緩やかな変動に対する対策となっていて、今回の台風のような巨大な自然災害に対するものではない。
古来、強烈な自然災害は人々の生活様式や文化を根本から変えてきた。その最大のものは、日本だと寒冷化による縄文時代の消滅、そして海外では例えばアイルランド民の移住だろう。近年、アメリカ大陸では冬場、森林火災が長期にわたって頻発しているが、森林乾燥地帯のこの災害が今後、アメリカ民の生活のあり方を変えていく要素になるかもしれない。
私は今回の台風被害が拡大した最大の原因は、農耕社会の生産様式、生活様式の残存のせい、と思っている。堤防の近くの低地に住居を構えること、山間地の急斜面に家を構えること、など農耕社会の名残である。なぜ、人々はそうした土地に住まうのかといえば、農業がしやすく、開墾による分家を増やすのに適しているからである。現在、その末裔たちは農業を営んでいなくとも、代々の土地から離れられないのだ。
災害に対しては、ただ防災という観点だけではなく、今日の経済社会制度に応じた住まいのあり方を、先祖代々を引き継ぐ土地神話から離脱して、工業化技術社会に即した地域づくりに転換すべきだと思う。それが遠い将来のための生活様式の道標になるのではないか。
例えば、建物の仕組みや構造である。普通、家は南東面を大切にし、日差しをいっぱい受ける形になっている。ところが台風は南東・南西からの強風である。だからこの面の家屋は、車のフロント面のように傾斜させることができないか。また、大量の積雪に対しては建物は、高層に伸びるより、逆に地下に潜るような対策がよいのではないか。水に対しては、地盤の強固な高台に移るとか。
そして何より、地域のインフラを整備することが大切だ。特に電気である。電気は遠地からの送電ではなく、近場の発電が絶対だと思う。それだけ被害が少ない。
台風19号の後、私は友人と荒川の上流の鴻巣にコスモスを見に出かけた。もちろん、広い河川敷の花は丸ごと流されて見る影もないのだが、堤防は何年か前から補強されており、決壊することはなかった。日頃のそうした土木は重要だと思うが、同時に巨大な自然災害に耐えるのではなく、受け入れることができる生活様式が今後の方途ではないだろうか。
災害に強い都内に住む立場から、自分の出身地の災害のことを想像するこのごろである。【彬】