ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

消費社会が変わった

2024年06月29日 | 日記

           桔梗

 私は長年、ジョギングを楽しんでいる。時には本気になって、フルマラソンを3時間を切ったこともある。
 長年履いていたシューズがさすがに滅びてきたので、新調しにショップに出かけた。だが、そこの光景にびっくり。店は、山岳用品と一体化していて、何よりの価格に驚いた。シューズは2~30,000円するのである。ランニングパンツは8,000〜10,000円。びっくりして退散した。
 ネット上で買えばパンツは高くとも、3,000円前後。ネット上で買うと、満足したものが届かないので、店頭に出向いたのだが、これでは手が出ない。
 こうした消費構造の変化をどう理解したら良いのか。
 いっとき、工業社会の到来は、品質の均一が進み、誰でもが同一のものを購買、消費する時代が到来し、社会をのっぺらぼうな均一社会に導くと、いわば大衆社会を批判する方便に使われたものだが、今やそうした均一社会は、物流の改革によって、消費者の嗜好を斟酌する場面は一層、消滅したように思える。消費者がモノと対面する場面が、画像などのデジカル化によって、生産者と消費者の距離が著しく離れた。
 などと思いながら街を去ると、若者たちのファッションが、皆、ルーズなことの気が付く。動きやすければ、それでいいといった趣で、素材も伸縮自在なもの。体にフィットして、年齢にあった肢体美を表現をする、といったセンスは全く感じられない。これならばネット上で、安価なものをいくらでも買える。
 時代は変わった。同年輩で早世した才人たちにこの現状を伝えたいのだ。【彬】


 
 


 

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政策=政治的認識の脆弱さ

2024年06月24日 | 日記

           ホタルブクロ

 都知事選が中盤を迎えている。小池再選が動かないようだ。
 他の候補よりまともなのであろう。それはそれとして、どの候補も、テーマに少子化対策を挙げているのが、私にはちっとも理解できない。
 東京都は現在、少子高齢化の難問に陥っているのだろうか。東京都の合計特殊出生率は確かに1を割り込み、危機的な数値を示していることは確かだろうが、都市というのは、もともと若者が集まる場所だから、当然そうなる。都区内に限らず、都下の地域も今では都市化がどんどん進み、マンションが林立している。家族を養い、生活を営んでいく場所にふさわしくない。子供の数が少なくなるのは当然である。
 少子化の問題は東京都の問題ではない。
 現在、都区内の児童数は増えている。どこの地区でも保育園は満杯で、小学校も学級を増やす必要になっているほどだ。これは若い夫婦が、仕事の関係で、地方から移住してきているせいである。出生率は低下しているが、実質的には児童数が増えているのである。地域の人口と女性数、児童数との関係をもっと動きのあるものとして、別言すれば、人口の移動との関係で把握しないと、少子化対策など絵に描いた餅のようになってしまう。
 今後とも都市はどんどん膨れ上がる。一つのアイディアだが、東京のようなメガロボリスは国内の数箇所に姉妹都市を作るべきではないか、と思う。例えば甲府、水戸といった都市と姉妹都市関係を結ぶ。そして経済的、文化的相互関係を密にしていく。交通の便は良いのだから相互の行き来は楽に進むはず。甲府にハイキングや果物を満喫できる東京の香りのする生活文化を作る。水戸も同様。そうすることで少子化問題は分散できる。今更県境を再設定することはできないが、都市文化を広域化すことで新しい世界ができるのではないか。
 知事には、もっと高所からの施策を求めたいものだ。【彬】

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政治家になること

2024年06月21日 | 日記

          カンナ

 東京都知事選が近づいてきた。小池現知事と蓮舫の決戦だと噂されている。それはそれとしてこの選挙になんと、50名が立候補するという。

 立候補するには供託金を出さなければならない。300万円だという。この供託金は選挙の補償金のようなもので、お遊びでの立候補するのを排除するためのものだから、一定の票を獲得した人には、還ってくるが、未満の人は没収される。有効総投票数の1%だったか。そんな制約があるにもかかわらず50名が立候補する。供託金だけではない。ポスターを作ったり、貼ったり、事務所を開いたり、様々な費用がかかってくる。資金に余裕がなければとても立候補なんてできないと思う。 

 民主主義国家だから政治の自由は保障されている。だから、だれでもが自由に立候補できるのだが、自由と勝手とは意味が違う。泡沫候補者たちは、政治というのを何と心得ているものやら。

 という私自身、政治とは何か、ということを明確に理解しているわけではない。弱いものを助ける、貧しい人を援助する、などと聞こえはいいが、それは政治ではない。それは、たんなる福祉という行政手続きにすぎない。また様々な社会事業を掲げて、これが政治だと嘯いている人もいるし、戦争は嫌いだ、軍隊はいらないといって候補になる人もいる。いわば社会運動のことを政治と理解しているわけだ。

 もちろん、社会運動は政治の一環である。だが、首長の仕事は問題の調整力である。

 政治は人が3人以上集まった時に出現する利害の調整である。2人なら2人で相談すれば済むことだ。ところが3人か、それ以上になると、相互理解が単純ではなくなる。その利害の調整を、言葉でするのか、力づくでするのか、あるいは神のような神聖なものに依存するのか、などの方策によって行うのである。その利害の調整をするのが、政治である。3人の集団といえ、東京のような巨大集団に膨れ上がった場合にどうするのか。

 政治家は、この利害の調整力に長けた人である。その自信がある人が政治家になるのだと思う。この調整を学問的にするのか、政治思想あるいは信条として貫くのか、あるいは人情として訴えるのか。政治と現実がクロスしてくる。東京の場合は1000万人が対象である。

 小池、蓮舫、その他の候補者たち、己はなんで都知事になろうとするのか。何を得意として立候補するのか、まず、それが問いたいことである。政治に関わることは国民一人一人の権利である。しかし、信条無くして政治はできないのは、前述の通りである。小池、蓮舫両氏に改めて聞きたい。

 なんのために都知事になりたいのか。東京を良くしたい? そんな漠とした返答では致し方ない。並べた立てたスローガンも全くの空虚である。単にエリート(選良)になるための手段なのか? 小池、蓮舫に限らず答えてもらいたいものだ。【彬】

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高校同窓会。懐かしさ、変化、そして、若さ。

2024年06月17日 | 日記

 6月15日(土)、母校、都立武蔵高校の同窓会総会が、校舎建物内で行われ出席した。

 コロナや個人的事情で、総会に参加するのは久しぶり。以前は、別会場開催であったが、今回は学校内でおこなわれた。校舎は随分前に新築され、訪れるのは今回が初めて。

 会の次第は、

➀令和5年事業報告、令和6年事業計画

②講演会、同窓生、萩本和男氏(光ファイバーの研究者)

③在校生、合唱部による唱歌

④校舎見学

である。

 萩本氏は、光ファイバー通信の発展に寄与したことで、昨年,JAPAN PRIZE(日本国際賞)を受賞している大変優れた科学者。講演を拝聴し大変感銘した。

 さて、校舎見学。もともと、これが楽しみの、参加ではあった。僕らの時代の校舎と違い、広く、きれいで、設備が充実している。大企業のオフィスの観あり。旧校舎時代の面影を探してみたが、まったく変わっていた。

 変わったのは、外見だけではない。僕らの時代は、自然に囲まれ、のんびりした学校生活であったが、今は、中高一貫校となり、有数の進学校となっている。特に、理科系に力をいれ、生徒が様々な、理科系他のコンクールで賞をもらっている。特に、昨年、国際数学オリンピックで金メダルを取った生徒がいる。

 ということで、母校は僕の時代と大きく変わってしまい、懐かしさを覆いかぶしてしてしまいそうで、誇らしさもあるが、寂しくもあったのだが・・・・・。しかし、在校生の合唱部と一緒に、校歌斉唱したときは、「ああ、こんな若い子たちが僕らの歌をうたっている。・・・・」と久しぶりに家族に会ったように感傷的になってしまった。

 ・・・・普段、自宅近くの農工大学をおとずれることが多いが、今日は、さらに若い、中学、高校生と会うことができ、おおいに若さを吸収した。

       2024年6月16日  岩下賢治

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都市の世代交代

2024年06月11日 | 日記

                  紫陽花

 久しぶりに新宿に出かけた。西口のヨドバシに買い物に行ったのである。丸の内線から西口に出るとなんと爆撃にあったような様変わり。小田急デパートがまるっきり姿を消して、シートで覆われている。その先にはJRの駅ビル・ルミネが見える。線路を越した向かい側である。そして反対側の西口にあった住友や各種のビルが、これまた解体され跡形なく無くなっている。
 この後、どんな町に様変わりしていくものやら。青写真があるのだったら、とうに発表されているだろうが、いずれも民間企業なので、この先どうなるか想像することもできない。
 東京の都市は変わっていく。発端は渋谷駅の改造だったろうか。あるいは品川の汐留区域だったろうか。いやいや東京駅の八重洲側だったのか。東京駅の丸の内改造だったかもしれない。
 とにかく東京は改造の真っ最中。ニューヨークやパリ、ロンドンなど大型のメガロポリスの改造は聞いたこともないが、東京は異常だ。何の、どのような需要があって街が変わるのか。
 私たちの青春時代は消費社会の円熟と共に、パラレルに東京が発展してきた。その象徴がデパートと都市交通だったかもしれない。西武鉄道がプロ野球のオーナーになって、デパートと消費文化とが、一体となって発展していったことを思えば想像がつく。
 その後の都市の在り方を今、未来の文化として模索しているのだろう。
 ファッションから飲食、各種娯楽、私たち老人からは全く異質のものになりつつある。時代の変化といえばそれまでだが、大きな文明の境目に至っていることは、確かなようにも思える。【彬】

 

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