学生の頃、仲間が集まって風俗文化に関する年度のベストテンを選ぶ、といったようことをやっていた。印象に残っていることでいうと、フォークソングが隆盛になった頃のフォーククルセダーズの「帰った来たよっぱらい」とか、埴谷雄高の「死霊」などが、リストアップされたような記憶がある。
それに倣って、年の暮れ、私がことし印象に残ったものを3つ上げておく。(ただしスポーツ界は除く)
①四方田犬彦「鳥を放つ」新潮9月号掲載
このブログの8月2日付記事にも記したが、四方田さんは私より何歳か年下で、ちょうど新左翼の学生運動、政治運動が、退潮し始めた頃。そこにフランスの哲学、思潮が華々しく登場した時代。そうした世情に飲み込まれた東大生男女の物語であるが、その悲惨な結末は、時代や思潮が今日、見事にひっくり返っていることを小説の形式を借りて述べたものである。
②こだま「夫のちんぽが入らない」扶桑社・講談社文庫
性をテーマにした文学、小説は数限りないが、この作品は「性」というより「生理」に焦点を当てているところが斬新である。しかも、その手法は車谷長吉さんを思い起こす極度の「私」小説になっている。マスコミの表面には出てこないが、本屋では平積み状態、女性の読者が多いことも、このベストセラーの特徴である。
③嵐山光三郎「文人悪食」新潮文庫
いっときマスコミでタレント扱いされていたこともあって、私は嵐山さんの作品をちゃんと読む機会がなかった。しかし本書は、そんなことを吹っ飛ばす名著と言っていいのではないか。本書は古く平成9年にマガジンハウスより刊行され、現在文庫で14刷を数えている。
日本だけでなく文学作品はふつう作品論として語られるが、本書は作家の食べ物へのこだわり、食嗜好を通して作品の背景を追跡している、稀有な近代文学論である。漱石から始まって三島まで、日本文学の特異な側面が余すところなく記されている。たとえば子規。病状に伏す身でありながら、「すさまじい食欲である。三度の食事と間食と服薬とカリエス患部包帯の交換の繰り返しのなかで、子規は、食いすぎて吐き、大食のため腹が痛むのに苦悶し、歯ぐきの膿を押し出してまた食い、便を山のように出す」とされる。触発されることの多い書物である。【彬】