ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

オリーブの春

2013年05月25日 | 日記

 

お隣の庭木 

オリーブの庭木

少女のブラウスに似て

白く揺れる

 

お隣の庭木

蔓バラが手を伸ばし

緑の風に乗って

春色が行き交う

 

チョウチョは海を渡ってくるのだろうか

蜂は巣穴から首を出している

ああ、季節がせわしない

【彬】

 

 

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広葉樹の植林

2013年05月16日 | 日記

JR青梅線沿いの植林事業風景=山が丸裸にされている。

 山歩きをしていると、植林された杉や檜の針葉樹の間を通る際は、なんとも陰鬱な気分になるものである。密植されているため、光が入らず下草も生えない。そして倒木が放置され荒放題といった状態が多いのも杉・檜の林の特徴である。そして最近では山蛭が出没するし、こんな場所は早く抜けたいと思う。反対に落葉広葉樹の林は本当に気分が晴れやかになる。新緑の頃は緑が爽やかで、様々な草木の花も楽しい。秋は紅葉が美しい。

 また広葉樹は水源の機能も持っていることから、建築材としての針葉樹から自然環境としての広葉樹への変換が歓迎されている。都内では、針葉樹から広葉樹への植え替え事業が盛んで、行政も補助金を出して植え替えを促進しているほどである。

 たとえば、青梅市周辺の山々がそうした事業が活発で、JR青梅線の御岳周辺は車窓からは、その一端を垣間見ることができる。ところがこの植林、気になることがある。植林に際し、山肌を丸裸にして行なわれるのである。そのほうが木の配置、植えやすさ、育ちやすさ等から、効率的なのだろう。だが、急勾配の斜面は本来、草木と岩や土との共生の関係にあって原状を維持しているはずだから、これで強い風雨がきたらどうなるかと心配になる。

 山林は、田や畑のように栽培のために開発されるものではない。現在、あちこちに植林されている杉、檜は、戦後の住宅難を解決するための応急の林野事業だった名残である。檜や杉でもまばらに生えた自然状態なら、そんなに鬱陶しいものではないのだが、建築材を効率よく生産するために、今日のように密に植える事態が生じたのである。

 山は目的を限定することを嫌うものだ。今日の広葉樹林化も、「美しい自然」などと目的化すると(人工的な美と自然状態としての美とは違う)、将来思わぬ弊害が生じるやもしれない。

 日本は南北に長く、しかも降雨量が多いことから、植物の種類が圧倒的に多い国柄である。樹木を限定して、純林もどきの体裁に整えるのは日本の自然環境にそぐわない。いろいろな木を植え、植物自体に生存を任せることが重要で、生態学者の宮脇昭さんが夙に指摘するところである。松、杉、檜の針葉樹、樫やタブの常緑樹があって、楢、クヌギ、ケヤキなど落葉樹などが群生する風景が、日本の山野である。【彬】

 

 

 

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文学と非文学の倫理

2013年05月07日 | 日記

吉本隆明さんと江藤淳さんの対談集。

 1965,1970 ,1970,1982.1988年の全5回の対談である。これらの対談は、いままで全部読んできたが、今回読み通してみると、以前は江藤淳の言っていることが随分冗長であまり気にもとめなかったのだが、なぜか響いてくるものが随所にあった。その中の一つに憲法問題があるので時節がら触れておきたい。

 江藤は現行憲法の成立過程をつぶさに調べ上げて、特に宮沢俊義の発言・行動を厳しく論難している。宮沢は私達にとっては現行憲法推進の旗頭だったから、彼の憲法制定当時の言動に目を向けることはほとんどなかった。江藤の指摘によると、宮沢は戦争時に憲政関係の中心にいて、ポツダム宣言受諾によっても、新憲法は帝国憲法と少しも変わらないものになるだろうと述べていた、という。それが敗戦後一転、8・15革命だとして、新憲法論の基本をつくるという変身の仕方の中に、戦後の問題が隠されていると言っている。憲法に限らず戦後の価値というのは、占領軍などの資料によって事実関係をつぶさに調べていくと、明らかに虚妄なのではないか、というのが江藤の主張である。

 何年か前に加藤典洋氏が「敗戦後論」というのを出版し、敗戦から戦後にいたる過程を点検、いわゆる戦後民主主義への転換に相当な「ねじれ」があって、これを理解することが大事だと指摘したが、江藤と相通ずるところがあるようだ。こういう過程論というところに目を向ける視線というのは、若い頃はどうてもいいように思えたが、最近は一概に否定しないほうがいいのかもしれないなあ、と思うようになった。こういう細かなことが実証されることによって、価値の実感が深みを増すのだろう。

 対して吉本は、そういう政治過程はあったかもしれないが、そこは捨象していいんだ、根本のことは新憲法に接した時の解放感なんだと言う。少し長いが引用します。

「例えば江藤さんが取り上げている、1946年の新憲法をみても新憲法の第一条と旧憲法の第一条とを比較すると、やっぱり新憲法の方が解放という感じがします。江藤さんが実証されたように、新憲法は占領軍の誰かが起草して、それを日本語に翻訳して押しつけたということがあるかないかという、そういう統治過程は過程論として、それは認めてもいいんです。しかし項目としてみて、46年の新憲法の、天皇は日本国の象徴であり、国民統治の象徴であるという一点をとってもですね、これこそいい文体ではないかもしれないけれど、これは主権の存する国民の総意に基づくみたいな記載がありますね。要するに、国民が主権を持ってて、国民が総意で、これを認めるんだよという意味だと思うのですよね。それは戦前の旧憲法の「神聖ニシテ侵スへカラス」というものよりは解放感だというふうに受け止めるのが、ぼくはいいように思うんです。」

 吉本のいうとおり、そういう後からの過程論というのは、ものの実感を補填することはあっても、価値の判定に際しては関与させないでもよい、のだろうと思う。どんな場合でも、私たちは事実関係のプロセスに関わることは、ほとんどの場合ありえないからである。特に政治に関しては。

 安倍政権下での憲法論議の場合、手続き論とか、過程論、文体論などいったことは、とりあえず無視していいのだということである。【彬】

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