公園の銀杏が黄金に輝き、広場が落ち葉で埋まっています。
本年11月27日、国家安全保障会議(日本版NSCと称される)が成立しました。
これは旧来の安全保障会議を改組するもので、安全保障関係の情報を首相の元に一括管理するというものである。つまり機密情報の管理=権力の一極化である。いままでは機密情報は外務省とか防衛省とか、各官庁別に管理されていたのだが、この部所を創設し、外務省、防衛省などから主要な役人が招集され、早速、部局が作られることになった。
ところで、この法案の成立までには、紆余曲折があった。
ウィキペディアによると、
「2006年、第1次安倍内閣の行政改革として国家安全保障会議(日本版NSCと称される)の創設を提唱されていた。これはアメリカ合衆国との政策協議において、米国NSCとの継続的協議を行える組織を設けるように要請されたことがきっかけであると報道された[要出典]。このたたき台として、国家安全保障に関する官邸機能強化会議が時の首相・安倍晋三を議長として発足した。議員には、小池百合子首相補佐官(安全保障担当)、塩崎恭久官房長官のほか、岡崎久彦元駐タイ大使、小川和久、森本敏拓殖大教授、柳井俊二前駐米大使、北岡伸一東大教授、佐々淳行元内閣安全保障室長、佐藤謙元防衛事務次官、塩川正十郎元官房長官、先崎一前統合幕僚長が任命された。会議は2007年2月をめどとして2週間に1回の会議を設けて議論を行っていく予定であったが、同年12月、福田康夫により撤回が決定された。」
であって、この組織変革は、日本の戦後体制(あいまいな表現このうえないが)に上書きする法体系である。つまりアメリカとの軍事的な機密を共有するための、組織替えなのである。
この法案に賛成したのは、自民党、公明党、民主党、みんなの党、日本維新の会である。
ところで、今日ジャーナリズムで連日議論になっている秘密保護法は、このNSCの下部となる法案である。だから国家安全保障会議が設立されれば秘密保護法は必然となる。日米間ばかりか、NSCにとっては軍事的な秘密の指定はあたりまえのことになるのである。だから論理的にいって、民主党などが秘密保護法の反対なとといっているのは、まったく矛盾しているのである。この党は軍事以外の分野への波及を懸念しているようだが、もしそうなら枝葉にすぎる。
私は今回の秘密保護法に反対である。が、表現の自由の侵害だとか、国民の知る権利の侵害だとか、というような理由ではない。そんなものはジャーナリズムを上目遣いで見ている評論家とか名前ばかりの記者あがりのタレントだけだ。
私が反対なのは、国家安全保障会議の設立についてである。
国家は、特に軍事的なことについては特に公開すべきである。なぜなら、軍事は海外に対する圧力のように見えるが、本質的には国民に対する強制力としてしか機能しないからである。こんなことはちゃんと歴史は勉強した人には常識である。民主党が弱者の国民を代表していると自負しているのなら、秘密保護法ではなく、国家安全保障会議の法案でなぜ反対しなかったのか。
私は老体だが必要なら身を挺する気持ちはあるが、今の反対の論拠にはまったく唾棄する以外にない。【彬】