ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

気象環境こそ注視すべき

2017年07月29日 | 日記

ヒルガオ、です。

 東京はいつになく暑い。雨が少なかったせいかもしれない。ところが、日本全国各所には集中豪雨が襲い、莫大な被害が出ている。日本だけでない。北米、南米、そしてヨーロッパ各地でも洪水の被害が相次いでいる。

 異常気象である。これを温暖化に原因を求める研究者もいるが、温暖化と気象の因果関係は必ずしも明確ではない。以前は、太陽の黒点活動が影響しているとか、赤道付近の海水温の変化が原因だとか指摘されてきた。大気圏全体の動向である気象だから、本当はおそらく太陽系全体の問題だろうと考えるのがいいのではないか。

 しかし、課題となるのは身近な対策である。異常高温に悩む都会では、第一に道路の表面温度を下げたい。アスファルト素材に工夫を凝らすのは当然として、当座は色を変えるだけでもだいぶ違うのではないかと思える。そして日陰を作るべき。打ち水などといった、たわげたことではなく木を植えることだ。しかも歩道側ではなく道路の中央に。車も問題だ。排ガスだけではなく、車体の断熱材を改良し、熱がこもらないようにする。本来はビルやマンションの外壁対策が最大の課題だろうが、手近なところの対策はもっと、いろいろあるように思う。

 昔のことを思うと、夏の地下鉄は耐え難かった。地下に冷房装置は設置できないとされ、車両はおろか、駅構内も熱がこもっていた。しかし今日の地下空間は快適になった。科学技術の成果である。

 私たちは、快適さを求めてもっともっと欲張りになっていいのだと思う。その思いが改善につながるのだ。

 夏対策と同じように冬の雪対策も重要だ。このことは以前このブログで指摘しておいた。

 そして、私たちは気象環境に必要以上に敏感になるべきだ。恐竜が絶滅したのは気象のせいである。縄文人が絶えたのも、寒冷化のせいだというのが今日では通説になっている。地震や津波もそうだが、地球を取り巻く気象の変化を甘くみてはいけない。【彬】

 

 

 

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ノルウェーの森(ビートルズ)

2017年07月25日 | 日記

 先日、友人たちとの食事会の中、僕が「外国の詩などは、原文と翻訳は別物だ。翻訳されると、翻訳家の感性を通し別の作品になる。」のような話をすると、中の一人が、「それならば、ノルウェーの森を翻訳してみたら?」と応えがあった。外国の詩を日本語訳で親しんできて、外国語の原文に触れ驚くことがある。原文は意外にシンプルでストレートな表現なことが多い。日本語訳でのような感動が得られないことがある。様々な点で違いがある。文化の違いと言ったら大袈裟だが。

 さて、ノルウェーの森を以下翻訳してみた。英語は難しいものではないが、意味不明なところもある。あくまでも、英語の原文がすべてだ。ぎこちなくない直訳が大切、と考えた。

 

Norwegian wood.(This bird has flown)      ノルウェー木材の部屋(鳥は飛んで行った) 

I once had a girl               僕には、昔、恋人がいた。

or should I say she once had me        というより、彼女が僕を恋人にしていた、と言うべきなんだ。

She showed me her room           彼女が、僕を部屋に招き入れた。

Isn’t it good, Norwegian wood         とてもステキな、ノルウェー木材の部屋じゃないか。

 

She asked me to stay             彼女は僕に、「ゆっくりしていってね」と言った。

And she told me to sit anywhere        そして、「どこに座ってもいいわよ」、とも。

So looked around               それで、見回してみると、

And I noticed there wasn’t a chair       椅子ひとつないじゃないか。

 

I sat on rug, biding time           僕は、敷物の上に座り、「その時」を待った、

Drinking her wine               彼女のワインを飲みながら

We talked until two             僕たちは2時まで話をした。

And then she said, it’s time for bed      そして、その時、彼女は「寝る時間よ」と言った。

 

She told me she worked in the morning    彼女は僕に、「朝から仕事があるの」、と言って

And started to laugh             そのあと、笑い出した。

I told her I didn’t               僕は彼女に、「僕には仕事はないよ」、と言ったんだが。

And crawled off to sleep in the bath       それで、しかたなく、這うように風呂場に行って眠ったよ。

 

And when I awoke I was lone         そして、僕が目を覚ました時、僕は一人だった。

This bird has flown             小鳥は飛んで行ってしまった。

So I lit a fire                それで、ぼくは、火をつけた。

Isn’t it good, Norwegian wood        とてもステキな、ノルウェー木材の部屋じゃないか。

 

 ご存じの通り、「ノルウェーの森」は間違いで「ノルウェー木材」が正しい。

 なぜ、タイトルが、「Norwegian wood」なのか。うがった説もあるようだが、僕は、この木の部屋が、肩透かしをくわされた彼女との逢瀬の中で作者の心に強く残ったからだと思う。

    絵は、ノルウェー木材の部屋。

      2017年7月25日  岩下賢治

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吉本隆明「写生の物語」を読む

2017年07月17日 | 日記

初夏の花、卯の花です。

 吉本さんの「写生の物語」が講談社文芸文庫から発刊されました。(¥1,600 文庫なのに高すぎます)

 早速購入し、読みました。吉本さんの書籍はだいたい知っているつもりでしたが、この本は恥ずかしながら知りませんでした。単行本は平成12年に講談社から出ています。

 本書は、日本の詩、つまり和歌=短詩系の発生の元を探り、現代まで続く俳句や短歌につなげる壮大な構想をもった詩論・日本語の由来をを考究した論考で、難解だが圧倒的な説得力をもっています。簡単に紹介することもできないのですが、巻頭の序論とも言える一節は「起源以前のこと」と題されていて、吉本さんの問題意識の一端を表現しているので、その一部を紹介しておきます。

 万葉集の5首を引用した後、例えば眠い様子を、「眠(い)も寝(ね)らやめ」とか、木陰の暗闇を「木(き)の木暗(このくれ)の」といったような表現を「おなじ語を動詞のしたに動詞的にか、名詞的なしたに動詞的にか重畳する語法だといっていい。」と言い、「これはおなじ語を重ねることで強調になっているとも受けとれるし、それよりももともとこういう重ねの語法が起源以前の和語の世界につきまとっていたものだと受けとれる。」とし、「具象的な語を、形容句として繰り返すことでしか、抽象化された心意を表現することができなかった。そしてこれは和語の本質で現在でもその遺制のなかにあるといっていい。」など、ゾクッとする解明があります。

 そのほか、私たちが通常知っている、枕詞の意味、本歌取りの意義、叙情から叙景への転換、そんな日本の短詩系にまつわる根本的なことが、万葉から俵万智など現代作家に至る作品を引いて、日本語、ひいては日本人の宿命として問題提起されています。

 定家の雅び、子規が主張した写生など、その芸術性への視角が、時代性や平俗化の経緯として論及されると、芭蕉の俳句や、啄木などの短歌がいっそうよく理解できるように思えます。

 私たちは、和歌・短歌を学校で学ぶが、正直なところ、その意味や美意識が全く理解できないで、ただ五七五七七という声調だけでおぼえてきた、というのが実情です。しかし、その歴史に日本人の生活感、美意識の葛藤、風俗の変遷が深く関わっているわけで、桑原武夫がこの分野を「第二芸術」だと貶めたことで、この文芸を遠ざけてしまったように思う。

 いま、俳句や短歌を嗜む人は多い。日本人だけが感ずる五七五七七の声調の心地よさ、その奥に潜む美意識について、先人たちが残してきた成果に触れることのできる論考です。【彬】

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七夕の夜の夢

2017年07月09日 | 日記

 七夕は丁度梅雨の季節。雨が降らずとも、うっとおしい時期にある。それでも、竹の笹の葉に飾りをつけ、短冊に願いことを書いて外に立てるとどこか爽やかな気持ちになる・・・。

 七夕の時期は、僕には、幼少の頃からの、楽しくも、切なく、不思議なイメージを引きずっている。字や文章もよく書けない頃から、何か願い事を短冊に書いたり、織姫と彦星の逢瀬の話を聞き、切なくも嬉しい気持ちになったりしていた、と思う。そのころから、七夕の夜は、曇って星が見えなかった。周囲の大人たちは、「今日は曇って、天の川はみえないね。」と話していたが、見えたとしても、いったい、どんなものなのか、大人たちも知らないのではないかと、僕は疑っていた。

 そして、ある七夕の夜。珍しく晴れた夜空に星が見えた。大人たちが、「今日は天の川が見えるよ。」いうのを聞いて、空を見上げた。そのとき、星たちは見えたが、天の川が、見えたのかどうか、覚えていない。 

 物事がわかる年代になると、七夕の飾りも、短冊の願い事も、関心が薄れてきた。そして、天の川は、自分の住んでいるところからは、見えないものだと、確信するようになった。

 そして、今。

 家の軒先、や、いろいろな施設に七夕飾りを見る。短冊には、幼い字で願い事が書かれている。ああ、七夕の季節かとおもう。七夕あたりの夜は蒸し暑く寝苦しい。浅い眠りの中で、七夕らしき夢を見ることがある。

 ・・・僕は、人魚が住むという海の中に潜り、水中散歩をしていた。そして、人魚たちに導かれ、竜宮城に迎えられていった。そこで、長い年月を重ねた。もう、自分の家に帰らなければならない。・・・眼を覚まさなければならい。

 人間世界に戻った時のイメージを絵にしてみた。星空に、天の川が流れる。どうやら僕は亀として描かれているようだ。となりに人魚姫がいるので姿を変えたのかもしれない。           

        2017年7月8日   岩下賢治

 

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都議会議員選挙に思う

2017年07月04日 | 日記

ムクゲが咲き始めました。

 東京都議会選挙は小池知事が結成した都民ファーストが圧勝し、既成政党が蒼ざめる結果となった。気になるのは投票率。最終的には51.28パーセントととなり、民主主義の前提となる過半数を辛うじて超えることになった。やれやれといったところか。

 とはいえ、およそ過半の有権者が投票を放棄しているこの実情をどう考えるか、と言う問題は残る。おそらく自分の意思を委託できる政党も候補者もいないからだと言う人が多いのではないかと思う。あるいは投票しても結果は同じ、と言う人もいよう。さらには、民主主義とはいえ、政治に全く無縁な人もいるだろう。大衆社会での普通選挙というのはかえって有権者の政治的アパシーを増長させるものである。

 しかし、待て待て。変に評論家ぶって言うなかれ。

 私たちの政治的関心はむしろ希薄な方が健全なのである。香港の雨傘運動とか、英米仏の政治的な関心の高まりには、独裁やら移民やら、社会の矛盾が煮詰まっている状況が背景にある。日本だと、60年安保、あるいは60年代後半の学生運動(ベトナム戦争を背景とする世界的な反戦運動)があった。今日のように経済が安定し、生活をそこそこ営むことができる場合は、政治に振り回されないことの方が重要である。政治は経済と違って、義を掲げ、正邪を問おうとする。そんなものに関わったらどんなことになるか、しれたものではない。メディアで散々取沙汰され、特定の政治家を叩きのめしている現況をみれば明らかだ。

 私たちが政治に積極的に関わるとする時には、生活を破壊されるかもしれないという危機が迫っている場合だけである。都民ファーストに出馬した若い政治家は、このことを少しでも念頭に入れておいてもらいたいものである。

 東京都は現在、築地-豊洲移転問題、オリンピック開催問題、各種育児支援問題、満員電車など交通対策、過密都市対策などの諸問題が山積している。これらを過大な費用をかけずに滞りなく処理してもらうのが、表ではしゃいだりしない都民の願いである。都政改革などと正邪を振り回すことなく、そして後代に負担を残さないことが最重要だと思う。【彬】

 

 

 

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