ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

忘れ物の心理学

2013年07月26日 | 日記

 ちょっとした忘れ物の体験がありまして。それで、人はなぜ忘れ物をするのか、考えてみたのです。

 心理学の一部では「人間は緊張感から解放されたときに忘れ物をしやすい」といっているようです。これは受験生が試験場に忘れ物をすることが多いことなどを事例をあげています。

 なるほど。

 しかし私の経験から言うと逆に気持ちが弛緩している時、いわば、忘れる物との関係が希薄なときに忘れているように思う。例えば電車内に傘の忘れ物が多いのは、雨空が晴れることによって緊張が解放されるからではなく、傘との関係の持ちようが軽いからではないのか。本を読んだり、仕事のことを考えたりしているうちに、傘との関係が希薄になっていくのでないのか。高額な傘だと心理的に強い関わり合いがあるのもだから、忘れにくい。反対に安価なものだとどんどん忘れるといったような。

 また、忘れ物というのは、記憶の衰えと関係しているようにも思う。人の記憶というのは、何かに関連づけて記憶されているものだ。箸の記憶には茶碗や食べるという行為が、といったように。歳をとるとこの関連付けの範囲が狭くなり、しかも弱くなって、例えば草花の名前なんていくら憶えたつもりでもすぐ忘れる。花の色とか大きさなど、その周辺情報と関連付けが甘くなるのである。また記憶していたはずのものも、関連付けが弱まるために思い出せなくなるのである。

 てなことを考えまして、歳とったら忘れ物に気をつけましょう、ということなのですが、実は私、最近ある花火大会を見物して、財布などを入れた信玄袋を会場に忘れてきてしまったのです。花火と持参したビールが気になって、肝腎の袋を忘れたということ。つまり、その時は、財布より花火とビールのほうに強く関係付けていたということなのでしょうね。幸い奇特な方が袋を拾って保管していてくれました。ありがたいことです。日本の美風です。【彬】

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将棋棋士とコンピュータのせめぎあいに思う

2013年07月14日 | 日記

 

 プロの将棋棋士と高度な計算能力をもったコンピュータが対戦する電王戦というのがある。

 今回は5月15日に開催された、プロの中でも最高棋士の三浦弘行八段と「GPS」の対戦が対戦前から注目を集めた。近年のコンピュータ将棋の能力が格段に進んでプロ側が苦戦していたからである。特にこのGPSは666台のiMacと13台のサーバで動作する仕様で、1秒間に最大で約2億8000万手を読める空前のソフトであった。
 この将棋の注目された点はもうひとつあって、掲載した局面に対する評価である。後手番のGPSが7五と開戦し、同歩、8四銀と繰り出したところである。この場面はプロの常識としては仕掛けたGPS側の無理筋として看過してきたものらしい。後手側から7四歩と伸ばす手が相手の手を殺しているとされているのである。
 実際三浦八段は7四歩と指し、GPSは予定通り7五銀としたのである。その結果はGPSの圧倒する勝利となった。
 ショックを受けたのは三浦八段だけではない。プロの検討陣が一様に驚愕したようだ。プロの常識と思われていた着手が覆されたからである。
 ゲームのように勝負の結果が明確に分かるものについては、人間よりコンピュータのほうが強いというのは、原理的に判明しているので、チェスでは人間はまったく太刀打ちできなくなっている。将棋や碁はチェスに比べ勝負が複雑なので、まだ解明できていないがいずれ機械が制覇するのであろう。
 思い出すのは「2001年宇宙の旅」である。御存知のようにこの宇宙巨艦は艦載しているハルコンピュータに裏切られ、制御不能となって宇宙の彼方に放り出されるのだが、問題なのはハルの警告に聞く耳を持たなかった艦長である。
 コンピュータは一定の目的を持つと終末まで突き進む。しかし、その時々に問題提起していて、それを発見し、丁寧に処理=思考することが人間側の役割なのである。7五歩局面はまさにその場面であった。三浦八段の対処の仕方を含め、棋士たちはこの局面の重大性を、今後宿題としてさらに将棋の質を高めていくに違いないのだが、将棋に限らずコンピュータと制御する人間の関係は、ますます微妙になり、制御が楽観できるものではないことを知るのである。【彬】

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皇居前広場にネジバナ

2013年07月06日 | 日記

 皇居に行った折り、二重橋前広場の松林の淵にネジバナを発見した。
 見渡してみると一帯に群生している。ネジバナを見るなんて何十年振りだろう。竹串を突き刺したようなか細い野草だから、人目を引きつけない。
 ググってみると、湿っていて陽当たりの良い、背の低い草地に良く生育するそうだ。皇居の松林は確かに陽当たりはよいが、湿っているとはいえず、しかも管理緑地で手入れの行き届いた芝生だから必ずしもネジバナの適地とはいえないと思うのだが。育て方も難しいようだ。
 植物の生育適地は、大まかにいって酸性かアルカリ性か、肥料の三要素(窒素・リン酸・カリ)の配分と、天候によって決まるようにいわれているが、皇居のネジバナをみると、そんな風にはみえない。なにか、もっと複雑系の諸要素が関係しているように感じられる。

 自然保護などというのも、なまじの意図など覆えされる場合が多いのではないかのか。皇居のネジバナがどこからどういう経緯でタネを運ばれ、どういう適性を得て群生するようになったのか、想像力を刺激する光景だ。【彬】

 

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