梅雨の合間の6月24日(土)、玉川上水沿いをウオーキングした。今、膝の故障で長い距離のランニングは控えている。体力維持のためのウオーキングではある。
だが、玉川上水沿いを歩くのは別の理由がある。
この上水周辺の自然、風景が好きなことに加え、国木田独歩の名作「武蔵野」に押され、いつかはじっくり散策し、独歩の世界に遊んでみたいと思っていた。
「武蔵野」を読むと。独歩は、明治28年の夏の日、友人と二人で、現在のJR中央線、武蔵境駅で降り北へ、玉川上水に掛かる桜橋まで行く。そして、そこから上流に向かい3里の距離を歩いた。そのときの夏の日の散策の楽しさを、巧みな文章で綴っている。
独歩は、自然を通し人間を、また、人間を通し自然を見る。そして、とくに武蔵野には、生活と自然が密着した素晴らしさがあると言う。
「・・・農家が散在し・・・野やら林やら入り組んで、・・・たちまち林に入るかと思えば、たちまち野に出る。それが実に武蔵野の一種の特色であり、生活があり自然がある。・・・」
と表現する。
僕も、独歩に同感だ。いや誰でそう感じるのではないだろうか。
独歩が歩いた、武蔵境駅から桜橋への道は、僕の高校時代の通学路である。そして母校の校歌には、「・・・林を出でて、林に入り、道尽きて、また道あり・・・」とある。武蔵野の風景の特徴は正にここにある、と思う。
さて、この日は、小金井公園から玉川上水駅往復の20km程のコースを歩いいた。上水沿いには、雑木林を残し、畑が広がり、かつては大きな農家の敷地であったであろうと思えるところが、あちこち残る。僕の想像力は、独歩の時代の風景をよみがえらせる。
膝の故障のおかげで、前々から思っていた、玉川上水のウオーキングで国木田独歩の世界を楽しむことが出来た。
絵は、玉川上水とその周辺。実際と「武蔵野」の文章から想像し合わせて描いた。
2017年6月25日 岩下賢治