ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

八ヶ岳からの贈りもの

2012年09月29日 | 日記

              

 

        

 

友人のYさんから、おいしそうなプレゼントをいただいた。

八ヶ岳の麓のファームからのお届けものです。左上はカボチャみたいなズッキーニ、右はご存知のナス、そして巨峰だろうか。

お届けもの本体は実は架空。送っていただいた絵から、おいしさを十分に堪能しました。

夏野菜は体を冷やす効果があると言われています。ことしの夏は寝苦しくて、夜中に汗びっしょりで目を覚ますことが何回かありました。ズッキーニやナスの油炒めを食べてぐっすりと眠りたいもの……そんな夏もようやく峠を越しました。

Yさん、ありがとう。承諾があれば実名を公表したいものです。【彬】

 

 

 

 

 

 

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カツラの香りが漂う公園

2012年09月24日 | 日記

代々木公園の中のカツラの木

 私は週2~3回、ジョギング/ランニングをしています。健康のため、といったようなものではなく、スポーツとしてのトレーニングの一環なのである。ランニングは反射神経を使う必要がないので、老いても楽しめるスポーツなのです。

 練習する場所は、なるべく緑の多いところ。もちろん車の走っていないところにかぎる。私がよく利用するのは、神宮外苑周辺、玉川上水、戸山公園、野川公園、それに代々木公園である。こういう場所で走っていると、8月下旬から初秋の頃に始まって晩秋に至るまで、甘い木の香りが漂ってくる。

 最初は、何なのだろうと、思った。周辺に花など咲いてはいないし。そこで調べてみた。カツラである。カツラの木である。私は将棋も楽しむので、上等な盤はカツラの8寸、とかいうので名前は知ってはいたのだが、木そのものについては見聞がなかった。

 カツラは素性がまっすぐである。大木になるにしてはかわいい葉に特徴があってハート型の対生である。そして色は周囲の緑の木立に比べると淡い緑色をしている。古木になると、ヒコバエがやたら生えるというのも特徴のひとつである。このカツラの葉が秋口になると、甘い、なんともいえないふくよかな香りを解き放つのである。

 歩くより走るほうが周囲の環境の変化に気づきやすい。移動する適度のスピードが周囲の変化に感応するからなのであろうか。だから歩行者はカツラの香りに気がつかないことのほうが多いようだ。走っていてこの香りを嗅ぐと、一瞬足を止めたくなってしまうほどの心地よさなのです。

 絵に描いたのは、代々木公園のカツラの風景。カツラは多少湿地を好むようで、代々木公園の中では窪地で育っている。ついでだが、霞ヶ関の農水省の正面の歩道にカツラの並木があるが、ここではかぐわしい香りを嗅いだことはない。【彬】

 

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我が家の珍客

2012年09月20日 | 日記

 

 東京の下町、決して緑豊かな街とは言えないわが町の、しかも、集合住宅6階のベランダに4・5年前からヤモリが姿を見せるようになった。夏場の夜、少し涼しくなると、窓ガラスにへばりついて足の吸盤の状態をしっかり観察させてくれることもあるが、最近は鉢植えのライムやレモンの木に生っている実を、抱え込むように張り付いていることが多い。遠くから飛んでくる訳ではないだろうし、毎回地上から這い上がってくる訳でもないだろうから、我が家のベランダに住んでいるのであろうと推察する。ベランダにはオリーブを初め雑然とたくさんの植物が鉢植えで置かれているが、現れるのはライムかレモンの木である。ヤモリは柑橘系が好みなのかもしれない。

 たぶん、同じヤモリでも自然公園のような所で偶然見つけたのならば、気持ちが悪いといって大騒ぎになるのではないかと思われるが、妻は、「何となく愛嬌があって可愛い」と珍客の来訪を歓迎している様子である。私はベランダの住人を「弥之助」と命名し、家族の一員に加えた。彼が歓迎されるのは、自然環境としては良くない、こんなところにも生き物が生活してくれていたということに対する喜びの思いもあるのかもしれない。

 これからもずっと「弥之助」の来訪が続き、我が家族を楽しませて欲しいものだ。                         【戸田常忠】

 

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全身を覆い隠すオリンピック女子選手

2012年09月17日 | 日記

ロンドンオリンピックに大変感動した。

さて、私は、オリンピックについて、3つの考えを持っていた。そして、今回あるシーンを見て、もう一つ増えることになった。

 まず、3つの考えとは。

第1。人間は、グローバル世界に参加し、自分を世界に示したいという強い意志を持つ。今回、北朝鮮、シリヤ、イラン、イスラエル、パレスチナなどが、政治的困難を越えて参加した。

第2。人間は闘うこと、勝ち残ろうとすることで、恐ろしいほどの力を発揮する。闘う姿は崇高で美しく、最高のエンターテイメントである。

第3。オリンピックの最高のシーンは、閉会式である。「闘い」を終え、宗教、文化、人種、政治の違い、壁を超え、一体感を分かち合う。これこそ、政治、経済、文化のどの領域でも実現困難なものである。

さて、今回見たあるシーンとは。

陸上女子800メートルである。サウジアラビアの選手が、頭から、手足を覆うユニフォームで走った。後方でゴールしたが、顔は笑顔であった。過去には、同様のユニフォームの女子選手がメダルを獲得している。こうして4つ目の考えが加わることとなった。

第4。自国の文化にプライドを持って闘う。他と違いがあってこそ、グローバル世界での固有の存在価値となる。

メダル争いは、人種的肉体の優位性、経済力などで偏りがちであり、国籍変更というおぞましいと思える現実を産む。いまや死語となった観があるが、「オリンピックは参加することに意義がある」である。     【岩下賢治】

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一瞬の夏、そしてネブタノキ

2012年09月09日 | 日記

 

暑い日、クーラーが効いた喫茶店などで涼んでいると、ついウトウトしてしまいます。夜、あまり熟睡していないせいでしょうか。疲れがドット出てくる感じです。

そんな盛夏が何日も続いて、今年は本当にうんざりですが、我々がこどもだった昭和20~30年代は、夏はうんざりするものではなく、一瞬にとおりすぎる祝祭日のような感じがありました。海水浴も、恋愛も、勉強も、夏にしておかないとなにか取り残されるような雰囲気があった、ような気がします。

ところで夏を象徴するものはなんなのでしょうか。人それぞれだと思いますが、私はネムノキのことを思い浮かべます。大きな木の樹冠にピンクの鮮やかな花が覆います。その葉をちぎって「ねむれ、ねむれ」とさすってやると、つやつやした葉がコテンとねてしまいます。不思議な木です。

夏に盛りの草木には、他にサルスベリ、カンナ、百日草、ムクゲなどがありますが、私など、ネムノキは〈極楽〉に咲き誇る情景を思い浮かべてしまいます。

そんな木の性質からか、ネムノキ=眠りの木という名前がついたにちがいありません。古来より、東北にはねぶた祭りという風習があって、夏の暑さの盛りに寝ずに山車を引き回し続けます。この祭りを柳田国男は「眠り」を戒めた習俗の名残だと述べています。東北の夏は一瞬で、そして眠くなる夏こそ大切なのだ、その象徴としてネブタノキを流して眠りを払うというのである。(反論する人も多い)

 なお、植物の分類としては、葉は羽状複葉対生で、豆科に属する。耐寒性が強く高緯度まで分布する。ウィキペディアによると、漢字名の「合歓木」は、中国においてネムノキが夫婦円満の象徴とされていることから付けられた、そうである。【彬】

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