私の所属する某「歴史探訪の会」が、先日、武蔵国分寺跡を巡る旅を開催し、私も参加した。西暦741年、聖武天皇により「国分寺建立の詔」が発せられ、全国六十余国に僧寺と尼寺が建立された。武蔵国(現在の東京都、埼玉県、神奈川県の一部)には、東京都国分寺市に建立され、国の史跡に指定されている。
今回はガイド付きのツアーであり、大変勉強になった、というか、このような古い時代の歴史は、資料文献が少なく歴史家が推測する部分が多いそうだ。例えば、広い武蔵の国で、何故、ここが選ばれたのか?また、屋根瓦の制作場所は100キロ以上離れたところだが、重さが一つ6キロもあるものを、大量に如何に運搬したか? 私は、馬車だろうと想像したが、人が背負って運んだのが有力な説である。人口の少ない当時、いかに人手を集めたのか?・・・・新しい資料が発見されれば新しい説がでるのだが。
話は少し飛んで、
昼休みに、同じツアーに参加した方と話をした。ある程度年配の方で、今「自分史」を編もうとしているとのこと。社会的に大きなことを成し遂げた人物の生涯は伝記として後世に残される。普通に生活してきた人も、生きてきた証として自分の歴史を書くことが最近はやっているとのこと。私にはよく理解できることだ。
私の場合、以前ブログ(2015年1月9日、日記をつけること)でも書きましたが、小学生の頃から日記をつけています。編集はしていないが、これが私の自分史といえる。だが、大学を出て就職してから、しばらくつけていなかった。それは、公私ともに忙しい時期で、今思うと日記のないことが悔やまれる。その頃の様々なことは、写真など記念物や、記憶として頭の中に残っているが、日記文の上からは自分の歴史の空白の時期である。
さて、一般に歴史を見るということは、「歴史に想いを馳せる」「歴史のロマンを感ずる」のはいいのだが、歴史に学び将来に活かすが本来の姿だろう。私が日記をつけるのは、昔をただ懐かしむだけでなく、これからの生活に活かすためでもある。
絵は、武蔵国分寺跡 2016年4月21日 岩下賢治