ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

自分の歴史

2016年04月22日 | 日記

 私の所属する某「歴史探訪の会」が、先日、武蔵国分寺跡を巡る旅を開催し、私も参加した。西暦741年、聖武天皇により「国分寺建立の詔」が発せられ、全国六十余国に僧寺と尼寺が建立された。武蔵国(現在の東京都、埼玉県、神奈川県の一部)には、東京都国分寺市に建立され、国の史跡に指定されている。 

 今回はガイド付きのツアーであり、大変勉強になった、というか、このような古い時代の歴史は、資料文献が少なく歴史家が推測する部分が多いそうだ。例えば、広い武蔵の国で、何故、ここが選ばれたのか?また、屋根瓦の制作場所は100キロ以上離れたところだが、重さが一つ6キロもあるものを、大量に如何に運搬したか? 私は、馬車だろうと想像したが、人が背負って運んだのが有力な説である。人口の少ない当時、いかに人手を集めたのか?・・・・新しい資料が発見されれば新しい説がでるのだが。

 話は少し飛んで、

 昼休みに、同じツアーに参加した方と話をした。ある程度年配の方で、今「自分史」を編もうとしているとのこと。社会的に大きなことを成し遂げた人物の生涯は伝記として後世に残される。普通に生活してきた人も、生きてきた証として自分の歴史を書くことが最近はやっているとのこと。私にはよく理解できることだ。

 私の場合、以前ブログ(2015年1月9日、日記をつけること)でも書きましたが、小学生の頃から日記をつけています。編集はしていないが、これが私の自分史といえる。だが、大学を出て就職してから、しばらくつけていなかった。それは、公私ともに忙しい時期で、今思うと日記のないことが悔やまれる。その頃の様々なことは、写真など記念物や、記憶として頭の中に残っているが、日記文の上からは自分の歴史の空白の時期である。

 さて、一般に歴史を見るということは、「歴史に想いを馳せる」「歴史のロマンを感ずる」のはいいのだが、歴史に学び将来に活かすが本来の姿だろう。私が日記をつけるのは、昔をただ懐かしむだけでなく、これからの生活に活かすためでもある。

 絵は、武蔵国分寺跡 2016年4月21日  岩下賢治

 

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熊本大震災に思う

2016年04月18日 | 日記

  

 この20年ほどの間に私たちは4度の巨大地震を経験した。神戸淡路、中越、東北、そして今回の熊本である。被災した人たちの苦しみを思うと、言葉を逸するばかりである。そして、マスコミ情報にもとずいて、何かしら手助けできるのではないかと、いろいろなことを考えざるをえない。たとえばボランティアで出向く、募金や、衣類など生活必要用具を送る、あるいは政府や行政体の活動を叱咤したり、軍隊の出動を云々するとか、などなど。ネット時代だからそうした情報がウェッブ上に行き交っている。さらに東北・福島原発の経験から、鹿児島の川内原発を止めるべきだとかの、政治運動まがいの言説も出てきている。

 私は復旧に関しては、外部から何事かを云々するのは控えた方がいいと思っている。物資の調達、運送の方法、重機の活用など、すべて地元の状況を無視しては混乱に拍車をかけるだけだからである。今日のような消費社会では、復旧は国や自治体に任せ、外部の人はただ復旧資金として義援金を送るだけしたほうがよい、と思っている。

 そして、復旧に関しては、後日その経緯を徹底的に検討し、震災から何を学ぶべきかを事細かく追跡すべきだ。私自身、東北震災の時、何回かいわき市に足を運んだ経験からそう思う。

 ところが先の3大地震からは、残念ながら学ぶべきことが本当に整理されたとは思われない。耐震化を進め、備蓄を徹底すること以外、根源的な研究が出てきていないのである。私が思うに、復旧・再興には日本人が潜在的に持っている小さな地域での共同体意識に依存することがいい。その象徴としての場所は学校であり、神社である。いざという時、ここがいわば幹線道路のバイパスのような機能をもてないものだろうかと思う。

 震災を機にして近代都市から現代都市への転換を、学校や神社の果たしていた機能を付加することで根本的な道筋が開けるのではないのか、と思いを馳せるものである。【彬】


  絵は満開のカロライナジャスミン

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恋愛小説はいかが?(続き)

2016年04月12日 | 日記

 先日(2016年2月8日)のブログ、恋愛小説はいかが?の続きになります。

 高校生の時からの愛読書、アンドレ・ジイドの「狭き門」をフランス語で読み終えました。仏語の勉強、美文を味わう、フランスの文化を多少ながら理解しようということを頭に置き2ヵ月ほどの小説の中の旅でした。  

 百年ほど前の、豊かなプロテスタント家庭の、美しい女性との青年の恋愛。主人公の、悲しみ、喪失感、あるいは、後悔の念、は恋愛小説独特のものではないでしょうか。読後、古典的フランス文化の中で得た感動は大きなものでした。

 ところで、僕は様々な国の言葉を勉強して、その国の文化を理解しようというのが趣味です。今回の読書もその一つです。「狭き門」“La Porte etroite”は発表が1909年と古く、かなり難しい文章に思えます。しかし、仏語の文法は、大変明確ですので、努力すればかなり理解できるものです。客観的にというか、第三者的にみて、文法上、日本語は、フランス語より難しいように思います。

 今回のフランス語の小説の旅を終え感じることは、

①   フランス語の文法は明確であり、かなり込み入った文章も整理し理解できる。

②   したがい、フランス語を使う人は、考え方がはっきりしているのではないか。

③   ひとつの言葉には様々な、意味、味わいがある。(あたりまえであるが)

 さて、いつも思うことであるが、それぞれの国の言葉を理解することはその国の文化を尊重することだと思う。今回、フランス語というメジャーな言葉での話ですが、すべての言葉、文化に通じることではないでしょうか。

 絵は、主人公が恋人アリサと最後にに会う場面。その後、彼女は、病で亡くなる。

           2016年4月11日  岩下賢治

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老朽化が進んでいる

2016年04月09日 | 日記

     

 40歳の時、新築のマンションを買った。もう30年前のことである。この間、部分的な補修を繰り返し、昨年二度目の大規模修繕を済ませた。建物は老朽化が避けられない。外部だけでなく、内部も痛みが進んでいて、クーラー、冷蔵庫、テレビも替えた。そして現在は、換気扇とバスルームが取り替えを迫られている。

 マンションとはいえ、居住空間をメインテナンスする費用は馬鹿にならない。

 そんなことに思いを巡らしていたところ、愛用のメガネのツルが外れてしまった。留め金のビスが緩んでいたのだろう。悪いことにそのビスを紛失してしまった。ヤレヤレ、メガネ屋にスペアがあると良いのだが、そのメガネ屋もすでに廃業している。他の店を当たる以外にない。 

 とはいえ、建物や機材の老朽化よりも、本当は私自身の老朽化を気にした方がいいのかもしれない。今のところ、たいした不具合は認められないのだが、筋肉が硬くなり、あちこち痛みを覚えることが多くなった。年をとっての劣化をどう補修するのがいいのか、これがよくわからない。若い時は負荷をかけ強化すればよかったのだが‥‥。【彬】


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銭湯はいい

2016年04月05日 | 日記

      

        桜の黒々とした老木の木肌に花がついています。

 私は週に1~2回、銭湯を利用する。ジョギングの後、汗を流れ落とすことが目的だが、それだけでなく電気風呂や水風呂に入って、筋肉のマッサージをし、リラックスするのが目的だ。最後に熱い湯に入っての、気分爽快さは何事にも変えがたく、間違いなく若返る。

 私が利用している銭湯では、利用しているのは圧倒的に老人だ。それに、仕事帰りの人たち、たまに外国人も混じる。そして私のようなジョガーやハイカー。

 ところで、そういう銭湯は、以前からずっと衰退の一方で、私の知っているだけでもう数軒が廃業に追い込まれている。経営が成り立たないのだ。入浴費は公共料金として決められていて、自治体から燃料費、水道代の補助金は出ているものの、大量の燃料と水を使い、衛生に配慮するとなると、事業として成り立たないのである。だから老夫婦が切り盛りして、やっと営業しているのが現在の実情である。そして農業と同じで後継者はいない。

 銭湯が好きで、銭湯巡りをしている人もいるものの、全くの少数で、いずれ銭湯は東京から姿を消すことになろう。残念だが、家風呂が普及した今日、仕方のないことである。

 とはいえ、一方で郊外などでスーパー銭湯とか温泉など、大規模な浴場が成功している。サウナや各種特殊な湯を設営し、飲食ができるようになっている。経営も、ところによっては自治体が関与しているところもある。

 だから、都心の銭湯が廃れている真の理由は、人々が内湯を持つようになったからではなく、アクセスの問題や設備など老朽化が目立ち、古臭いイメージがあるためであろう。

 銭湯にはぜひ残ってもらいたいと私は願う。単に好きだからではない。入湯する人たちの一体感、あるいは同一感。お互いが裸で向き合える感性を感受できるのだ。これは日本人独特の共同性だと思う。そこにマナーが生まれる。これは大事なことだ。街の銭湯には、だから補助を出すだけでなく、経営のアドバイスや再建のための資金援助が必要だと思う。老夫婦が午後3時の営業開始から深夜11時の終了まで、心をくだいて働いているのをみると、利用者としても心が痛むのだ。【彬】

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