自宅近くの野川に沿う遊歩道でのランニングの練習を終え、野川公園を眺める。梅雨の季節、遠くの森や林の緑がしっとりと豊かで小山のように見える。昨年まで、自然豊かな茨城県北西部に住んでいた僕だが、このような公園の風景でも自然の中にいる気分を満喫できる。だが、茨城と比べると何かが足りない。茨城では、梅雨から夏にかけての夜、ホタル観察ができた。東京に戻ってからはホタルを見ていない。
茨城は水田が多いので、毎年ホタルが出る。実を言うと自然の中でホタルを見たのは、13年ほど前に茨城に転勤して初めてと記憶している。社宅のすぐ裏の田んぼで、また、隣町の合鴨農業を行っている水田で多くのホタルが観られ、わざわざ車で出かけたりした。ホタルの光が何処からともなく現れ、スーっと飛んで消えていくさまは、幻想的、儚さ、といった日本的美意識、心の琴線に触れるものがある。
野川公園では、人工的にホタルが育つ環境を作り、ホタル観察会を開いているようだ。だが、昨年は個体数が少なく中止となった。今年は、特に話がない。ホタル観察を目的として、ホタルを育てるのは人間中心で、あまり好きではないが、出来たら野川公園で幻想的なホタルに会いたいとも思う。
ところで、何年か前こんなことがあった。
まだ寒く、ホタルの季節でない頃。僕は、たまたま、茨城から自宅に戻り野川公園あたりを散歩していた。すると、野川に通じる小さい水路の脇で、周囲を掃き清める美しい女性に出会った。その人の話では、「この水路で、梅雨の季節にホタルが出るんですよ。その季節になったらぜひ来てくださいね。」僕は「誰か餌のカワニナを放しているんですかね?」その人「さあーどうでしょか。」
その言葉に従い梅雨の季節に、昼間だが、ランニングコースの途中なので現場に赴いた。改めて見るとホタルに似合う美しい水路である。だがホタルが自然に発生することはないだろう。周囲にホタルが見られるとの広報もない。あの女性は誰だったのか。会ったこと自体が、何か幻想ではなかったかと不思議な気持ちにもなってきた。夜にその現場に行こうという気持ちが萎えてきた。そして、ホタルよりも、むしろそのホタル娘に再会したいと思うようになっていた。
絵は水路で若い女性に会う。 2016年6月24日 岩下賢治