景気いや、陽気がよくなった。桜ははや満開だし、道ばたの雑草も花をさかせている。絵に描いたのはアマナである。
景気といえば、日銀の総裁人事など経済に関するニュースの踊る日が多い。そして、このところ株価の上昇が続いていて、若干の株を持つものとしては、ささやかであっても朗報である。ただし、リフレ派=反リフラ派とかの学問的な理論や主張については私たちは当然のことながら理解できない。私たちが注意したいことは通貨が下落してはならないことだけである。インフレは通貨の下落の意味もあるからである。
中学の社会科の教科書では、インフレーションというのは《借金の棒引き》だとはっきり書いてあるはずである。つまり、通貨の流通量を増やし、その実質的な価値を下落させ、名目の金額と実質の金額の差から、借金している者の実質を減らす効果である。で、現在、誰が一番借金しているかと言えば、国家である。国債という借金がべらぼうな額に登る。日本だけではない。世界中がそうである。リフレ派というのは、これをどうにかしたいのかもしれない。
でも、インフレは好景気=つまり金回りがよいことの指標でもあるので、判断が難しいが、インフレによって私たちのわずかな貯蓄が台無しになることを恐れるものである。 【彬】
スイセンが活きよいよく咲いています。もう春です。
スポーツ界を超えて、ジャーナリズムでは体罰問題が継続しています。さすがにこれを肯定する人はいないようだ。そんな中で元西武・巨人の清原氏が体罰容認のような発言をしていることが2チャンネルやツイッターで話題となっている。
清原氏がいうのは、指導者の暴力ではなく、上級生の暴力である。PL学園在学中は暴力の洗礼をうけ、体中アザが消えたことは無かったという。つまり、指導としての暴力ではなく、上下関係の暴力である。そして、その暴力は、勝負を分ける肝のすわった場面では、大いに役立ったというのである。
私は清原氏の認識が正確だと思う。
技術的な指導を暴力的に行うことは、どんな世界でもありえない。よく言われる大工など職人的な場でも技術の伝達では、見よう見まねで行われていて、暴力的なことは用具の扱い方や仕事場の後始末などに限っている。刃物など危険物を扱う場面では特にそうである。(料理も同じである)。技術の伝承では暴力は無縁だ。このことは何時の時代でもどんな場面でも同じである。いまジャーナリズムで問題にされている暴力は「技術的な指導としての暴力」である。以前からこのブログで問題にしているのは、これは問題の立て方が間違っている。
技術的な指導で、選手に理解実行できないからといって殴る蹴るということは、どんなスポーツ場面でもありえない。では、どんな理由で殴る蹴るのか。殴る蹴るくらいならまだましも、長時間の正座やバットや竹刀、木刀だ。理由となるのは、取り組み方が甘い、気合いがこもっていない、先輩に対する敬意がない、といった心理的な問題である。このことが問題の根本であり、技術的な指導方法の問題ではないのである。と同時に、チームスポーツの問題が絡んできて、団結力を乱すというのだ。だから清原氏の指摘は正鵠を得ているはずである。そんなことは、スポーツの世界に身を置いた人は誰でもわかっている。分かっているのに新聞やテレビなどで活躍しているかつてのスポーツマンは、なにをはばかっているのか、問題をずらしている。
それが、たとえば高校野球などの場合、「純真さ」とかといった言葉のオブラートに隠し包んでしまっていることは、みんな分かっているのだ。大新聞を始めテレビでスポーツに関わっている人たちは十分すぎるほど分かっているはずなのだ。それを表現できないでいることはどういうことなのか、私には想像もつかない身過ぎ世過ぎがあるのだろう。
わたしは清原氏の考えには反対だが、暴力の根源が先輩後輩といった、学校=学年スポーツの中にあることには全く同意する。学校からスポーツを開放すべきであるというのが私の変わらぬ見解である。
追記=なぜ、日本でこのような暴力が横行するようになったのか。私は前のブログに日本が近代化する時の宿命みたいなことにふれたが、最近、慶応大学の片山杜秀さんの「未完のファシズム」という論考があって、日本がなぜ合理的な戦術から突撃主義のような精神に至ったかを分析した書物が参考になる。軍事やスポーツの訓練は反復だが、反復が意味を持つのは持ち前の物量・力量を前提にしているが、実際勝負を決するのは瞬時の戦術だという考えが、後進国日本の軍事思想に至ったというプロセスを書いた本である。 【彬】
2~3月は梅の季節。4月の桜とともに、日本人に愛されている花である。ただ趣は違うと思う。桜は、華やか、艶やか、そして花見。酒宴がつきもの。梅は、質素、控えめ、花を見るより、香りを楽しむ。茶などを味わいながら。
茨城といえば梅が有名。素朴で控えめな県民性が、なにか梅のイメージに合うような気がする。茨城が梅で有名なのは水戸偕楽園の梅園からと想像するが、桜に慣れた眼には質素な庭園に見える。酒を楽しむ人はない。野点が開かれている。梅の木は古風な茶屋や茅葺の家の庭先にそれとなく立っている風景が、桜のよりも日本の原風景のように感じる。私の住む茨城には、まだ茅葺屋根の家がそこそこにある。私のマラソン練習コースの途中にも、茅葺屋根の家と梅の木がある。
平安時代の高名な歌人、西行法師の、私の好きな歌、
「ねがわくば 花のもとにて 春死なむ その如月の 望月のころ」
私には、満開の桜の怖いほどの美しさを詠んだものと思えばぴったりとする。梶井基次郎の「桜の樹の下には」のように。ところが如月は2月。梅の時期である。私にはこの花が梅として、どうもイメージが湧かない。桜、それもソメイヨシノのような華やかなのが合うと思うのだが、これは現代人、いや凡人の私の感性。
平安時代の桜はソメイヨシノのように派手は花ではなかっただろう。西行は冬から春への移り行く風情、美を、満月を背景に梅の花で印象を強く表現しようとしのたのであろうか。現代。花見といえば桜が主流。が、梅の花の控えめな風情、香をあらためて味わいたい。 2月25日 岩下賢治